ファミリーオフィスを呼び込め、急務の人材育成のため各国にスクール
香港大学専業進修学院(HKU・SPACE)のファミリーオフィス・マネジメント・コース

ファミリーオフィスを呼び込め、急務の人材育成のため各国にスクール

6月の汗ばむ夕方、香港の多くの人々が夕食を取る時間に、20数人の学生たちが雑多な店舗の前を素通りしてオフィスタワーの3階へと向かっていた。金融の最新トレンドについての授業を受けるためだ。

(ブルームバーグ):6月の汗ばむ夕方、香港の多くの人々が夕食を取る時間に、20数人の学生たちが雑多な店舗の前を素通りしてオフィスタワーの3階へと向かっていた。金融の最新トレンドについての授業を受けるためだ。

ジムバッグを持ったプライベートバンカーやきちんとした身なりの会計士などさまざまなホワイトカラーの受講生たちは、ファミリーオフィスのイロハを学びに来たのだ。ファミリーオフィスとは、世代を超えて蓄積された莫大(ばくだい)な富を管理することを目的とする会社だ。

シンガポールや米マイアミ、スイスのローザンヌなどで開かれるこうしたクラスは、各国政府が特にアジアからファミリーオフィスを誘致しようと取り組む競争の一部だ。

各国が在留許可と高い生活水準、低い税率でファミリーオフィスを引き付けようとする中で、超富裕層の生活と資産管理を支援する訓練された人材の有無が重要な争点となってきている。何兆ドルもの投資資金と、時には100万ドル(約1億4000万円)以上の報酬が得られるトップクラスの仕事が用意されている。

香港大学の付属機関で生涯教育を専門とする香港大学専業進修学院(HKU・SPACE)での授業に先立ち、講師のディクソン・ウォン氏は「人材のギャップが大きくなり問題になりつつある。欧米の多くのファミリーオフィスと異なり、アジアのファミリーオフィスは一族のメンバーによって運営されることが多いが、このアプローチには幾つかの制約や限界がある」と語った。

富の移転

アジアのファミリーオフィス増加は、この地域の富の成熟と結びついている。地元マネーの多くは植民地政策の終焉(しゅうえん)後に生み出され、超富裕層となった起業家の多くが今、欧米の歴史ある富裕層ファミリーが数十年にわたって行ってきたように、富を管理し子孫に手渡そうとしている。

HSBCホールディングスの予測によると、2025年までに日本を除くアジアの金融資産は米国を上回る可能性がある。同行の試算によると、21年のアジア金融資産は140兆ドル近かった。ナイト・フランクは、アジアに居住する富裕層の数は3年以内に欧州を上回ると予測している。

HSBCの予測によると、日本を除くアジアの金融資産は2025年までに米国を上回る可能性がある

その結果、ファミリーオフィスの需要が津波のように押し寄せている。カムデン・リサーチが昨年発行した「アジア太平洋ファミリー・オフィス・リポート」の調査対象となった企業の80%が2000年以降に設立されている。世界のファミリーオフィス業界は19年には既に6兆ドル近くを運用しており、この数字はそれ以降も増加の一途をたどっている。

デロイト・プライベートのインサイト部門グローバル責任者、レベッカ・グーチ氏(ロンドン在勤)は「アジアにはとてつもない成長の可能性がある」と語る。アジアはファミリーオフィス全体の5分の1を占めるに過ぎないが、世界で最も急成長している市場だと指摘した。

各国の金融センターはファミリーオフィス誘致の取り組みを強化している。香港は中国への投資を希望する一族の呼び込みを狙い、税制や在留許可に関する優遇措置を導入。ドバイはファミリーオフィス専用のセンターを開設した。

シンガポールは早くからこれに取り組んでおり、減税やその他の特典で、安定性という評判に加えた魅力を提供してきた。シンガポール通貨庁(MAS、中央銀行)の推計によると、22年末のファミリーオフィスの数は約1100で、20年のわずか400から増加。政府の3月の発表によると、200件の新規申請が承認待ちの状況だ。香港は25年までに少なくとも200の大手ファミリーオフィス開設を目標としている。

これらの新しいファミリーオフィスは全て、従業員を必要としている。KPMGインターナショナルとアグレウス・グループが調査したファミリーオフィスの約40%が今年採用を予定しており、約60%の従業員は昨年、報酬増に浴している。クレディ・スイス・グループやモルガン・スタンレーが数千人の雇用を削減する中、理論的にはファミリーオフィスは増え続ける失業バンカーの中から人材を採用することができるはずだ。

しかし現実には、ファミリーオフィスには従業員に対する独特の要求があり、選別は厳しい。その理由の一つは秘密主義だ。こうしたファミリーオフィスで働くと、従業員は一族についての全てを内部から見ることになるため、信頼が非常に重要になる。あるファミリーオフィスの元幹部はブルームバーグ・ニュースに、顧客のセキュリティーの詳細、投資、慈善活動、世界各地への移動を管理していたと語った。

金融の仕事に秀でていても、必ずしもファミリーオフィスでうまくやれるとは限らない。ファミリーオフィスのプリンシパル3人は、理想的な人材についてのブルームバーグの質問に対し、かなり型破りな基準を示した。秘密を守れることは当然だが、中国語が堪能であることや、米画家ジャンミシェル・バスキアの作品に造詣が深いことが必要だとの答えや、いがみ合う兄弟の間を取り持つ能力が最優先だという答えがあった。

シンガポールでマルチファミリーオフィスのファロ・キャピタルを立ち上げる前に、トララム・グループのファミリーオフィスの運営に携わったマニッシュ・ティブレワル氏は「ソフトスキルは、ハードスキルやテクニカルスキルよりも重要だ。後者はインポートやアウトソーシングが可能だからだ」と言う。

ファミリーオフィスの人材紹介会社アグレウスの共同創業者、ポール・ウェストール氏によると、アジアではこの分野の経験を持つ専門家が不足している。そのため、金融業界の豊富な人材を、求められているような口が堅く柔軟な人材に作り変えることが不可欠だという。

ウェストール氏によると、郵便物を取ってきたり、プリンシパルの友人のためにコーヒーを頼まれたりすることもある。同氏は金融業界で鍛えられたあるファミリーオフィス責任者が顧客のオフィスの設計に携わっている例を挙げ、「そのような仕事には向かない人もいる」と話した。

シンガポールでは失業率がわずか1.9%であるにもかかわらず、税優遇やその他の恩恵を受けるために最低人数の社員を雇用しなければならない。このような場所では採用は特に難題だ。香港の労働市場も逼迫(ひっぱく)しており、失業率は2.9%だ。

その国に十分な人材がいなければ「機能的なファミリーオフィスは設置できない」と香港ファミリーオフィス・アソシエーションのエンジェル・チア会長は言う。

スクール開設

このような需要に応えるため、複数の政府が資金を援助し、人材を転換・育成する学校を開設している。

シンガポールでは政府系ファンド(SWF)のGICとテマセク・ホールディングスが03年に設立し、与党・人民行動党の議員が率いる教育・研究センター、ウェルス・マネジメント・インスティテュートがその多くを担っている。

その代表的なプログラムの一つは、大学を卒業した人が5日半で1万1880シンガポール・ドル(約130万円)のコースを修了すれば「公認ファミリーオフィス・プラクティショナー」と認定される制度だ。シンガポール永住権保持者とシンガポール国民には多額の補助金が出る。25年までにこのプログラムに5000人が登録することを目指している。

スイスでは伝統的に、ローザンヌの国際経営開発研究所(IMD)が主力プログラム「リーディング・ユア・ファミリーオフィス」を運営しており、アジアのファミリーオフィスのトップも、時には従業員とともに参加している。昨年からはシンガポールでも開催されている。11月に3日半にわたって行われ、受講料は1万7500シンガポール・ドルから。

ファミリーオフィスと連絡を取るエンゲージメントマネジャーのナタリー・マーティン氏は、「アジアでは大きな関心を集めており、欧州でもそうだ」と語った。IMDはファミリーオフィスのプロフェッショナルのためのコースに取り組んでいる。「私たちと同じように他の人たちも、これが大きな話題であることに気付きつつある」という。

ドバイ・センター

アジアのライバルはシンガポールに追いつき始めている。香港政府は、シンガポールのウェルス・マネジメント・インスティテュートと同じような専門家を養成するため、香港ウェルス・レガシー・アカデミーに資金を提供する計画だ。

一方、ドバイは3月に、ドバイ国際金融センター(DIFC)にファミリー・ウェルス・センターを立ち上げ、「世界初のファミリーウェルス専門センター」と銘打っている。中東の金融ハブであるドバイは、カスタマイズされたトレーニングや認定を含む一連の特典でファミリーオフィスや企業を誘致しようとしている。

シカゴにあるノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院でファミリー企業を研究するジェニファー・ペンダーガスト教授によれば、ファミリーオフィスは通常、同様の企業で経験を積んだスタッフを雇うことを好むが、爆発的な成長は人手が足りなくなることを意味する。このブームはアジアに限ったことではなく、同教授は6月に、同校のマイアミキャンパスで、中南米のファミリーオフィス幹部多数を含むクラスを開いた。

「この分野は急成長しているため、これまでこの仕事をしたことのないところから人材を集めることになる。業界内で同じ人たちばかりを使い回し続けることはできない」と同氏は説明した。クラスは、孤立していた幹部たちが親交を深める機会にもなったという。デリケートな内容の仕事が多いため、ファミリーオフィスで働いていることを友人に話すわけにはいかないと同氏は説明した。

競合する多くのスクールやコースが成功するかどうかは、業界の厳しい現実をどれだけ正直に伝えるかにかかっているかもしれない。柔軟性が必要なのだ。ファミリーオフィスで働く幹部によれば、顧客ファミリーの家長から仲間内の取引話で深夜に電話が入ることもしばしばで、夜の11時に「金を買え」とだけ言って他に何も説明せずに本人はポーカー遊びに戻ってしまったこともある。

時間と経験

アジアのファミリーオフィスの中にはインターンを雇い始めるところもあるほど、適切な人材の必要性は切迫している。スタンフォード大学に通う19歳のエレナ・リー氏は夏休みにできることを探していた時、ファミリーオフィスの仕事についてほとんど知らなかったにもかかわらず、リンクトインで香港のファミリーオフィスに応募した。

リー氏は2カ月間、バックオフィスで働いて業界の仕組みを学び、時には幹部と一緒に顧客と話すこともあった。その会社はシンガポールへの進出を準備していたため、環境・社会・企業統治(ESG)のフレームワークや信託の仕組みを調べるなど、調査を手伝った。クラスメートのほとんどは、同氏が夏の間何をしていたのか、いまだに知らない。

「教育システムでファミリーオフィスに触れる機会は非常に限られているし、教えている人たちもあまり理解していないように感じる」と同氏は言う。「当初、ファミリーオフィスは単なる資産管理のように思えたが、実際にファミリーオフィスに入り、その運営について学ぶと、ファミリーオフィスはもっと全体的なものであることが分かる」と話した。

多数の競合する学校やコースが成功するかどうかは、柔軟性の必要性をいかにうまく伝えられるかにかかっているかもしれない

香港のアドミラルティ・センターで午後10時になると、ウォン氏は質問を受けて授業を終えた。近い将来に同業者になることも多い受講生たちと飲みに行くこともある。今後数週間、学生たちは競合するインセンティブスキームや、億万長者が難しい富の移転を行うために用いる方便や仕組みについて学ぶことになる。

最後の授業を終えてタワーを下りるとき、学生たちは本当に準備ができているかどうかにかかわらず、超富裕層にサービスを提供するプロフェッショナルの仲間入りをすることを公式に認定された人々の一部になっていることだろう。

ティブレワル氏はこうしたコースについて、「ファミリーオフィスで働く時にやっていいこととだめなことなどについて、一通りの概要を学べるが、数週間ですべてを教えることはできない」と話す。「プロフェッショナルは、顧客であるファミリーと快適な関係を築く必要があり、それは時間と経験によってのみ得られるものだ」という。

原題:Asia’s Richest Families Fuel Race for Lucrative Finance Jobs(抜粋)

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