高齢者が自ら死を選ぶ日本を描いた映画監督
早川千絵、2022年6月10日、都内で行われたインタビューにて。彼女の新作『PLAN 75』は世界で最も高齢化した社会への対応について挑んでいる。(Noriko Hayashi/The New York Times)

高齢者が自ら死を選ぶ日本を描いた映画監督

早川千絵監督の映画『PLAN 75』は、政府が高齢者の安楽死を推し進めるという衝撃的な前提で作られている。急速に進む高齢化社会の中で、この映画は先見の明があるのだろうか?

ニューヨーク・タイムズ

[著者:リッチ素子]東京 - 日本の映画監督、早川千絵は、脚本の構想を練っていたとき、母親の友人や知人の高齢者にその前提を試してみることにした。彼女の疑問。もし、政府が75歳以上を対象に安楽死プログラムを提供したら、あなたは同意するか?

「ほとんどの人が賛成してくれた」と早川は言う「彼らは他人や子供たちの負担になりたくないのだ」

早川にとって、この一見ショッキングな反応は、日本の文化と人口動態を強く反映したものだった。今月のカンヌ映画祭で特別賞を受賞した彼女の初の長編映画『PLAN 75』では、近未来の日本政府が孤独な高齢者のために静かな施設死と集団埋葬を推進し、明るいセールスマンが旅行保険を売り込むかのようにそのアイデアを売り込んでいる。

「政府が何かやれと言ったら、やらなければならないという考え方だ」と、45歳の早川は金曜日の日本での公開を前に東京でインタビューに答えた。ルールに従うこと、他人に迷惑をかけないことは、「集団生活の中で自分が突出しないようにするための文化的要請」だと彼女は言った。

早川は、叙情的で控えめなタッチで、日本における最大の象(触れないようしている話題)の1つである世界で最も高齢化した社会への対応に挑んだのだ。

安楽死は国内では違法だが、時折、陰惨な犯罪の文脈で生じることがある。2016年、東京郊外の障害者センターで、ある男が「家庭での生活や社会での活動が極めて困難である」から、そうした人たちは安楽死させるべきだと主張して、19人を寝ている間に殺害した。

この恐ろしい事件は、早川にとってアイデアの種になった。「あの事件は、日本社会で起きた突出した事件や思考回路ではなかったと思う。日本が不寛容な社会になっていくのをとても恐れていた」

ジャパンタイムズやBBCで映画や芸術について記事を書き、『Plan 75』の初期バージョンを見た庄司かおりにとって、この映画はディストピアとは思えなかったようだ。「彼女はありのままを伝えている」と庄司は言う。彼女は私たちに、『これが私たちが向かっている場所なんだ』と教えてくれている」

スピリチュアリティや生命倫理を研究する鳥取大学医学部准教授氏は、過労死する人がいる社会では、その可能性はより一層信じられると語る。

「”安楽死が受け入れられる場所"を考えることは不可能ではない」と彼は言った。

早川は、大人になってから、人生の終わりについて個人的な視点から考えるようになった。10歳のとき、父親が癌であることを知り、その10年後に父親を亡くした。「そのことが、私の芸術に対する考え方に影響を与えたと思う」

公務員の娘である早川は、幼い頃から自分で絵本を描いたり、詩を書いたりしいた。小学生の時、貧乏な家族が艀(はしけ)で生活する日本ドラマ『泥の河』に夢中になった。小栗康平監督のこの作品は、1982年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされている。

「言葉にできない思いが、あの映画には込められていた」と早川は言う。「そして、自分もこんな映画を作りたいと思った」

アメリカの方が映画作りの基礎が身につくと思い、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツの映画学科に入学した。しかし、英語力もそこそこあり、「自分で撮れるから」と、入学して1週間もしないうちに写真学科に転科した。

講師陣は、彼女の好奇心と仕事に対する姿勢に心を打たれた。「私が何気なく映画の話をすれば、家に帰ってそれをレンタルして観てくるし、アーティストや展覧会の話をすれば、それについて調べてきて、何か言ってくる」と、写真家で早川の指導者の一人であるティム・モールは言う。「チエは本当に勢いがあって、一途な人だった」。

2001年の卒業後、早川はニューヨークで2人の子供を出産した。2008年、夫で画家の早川克己と東京に戻り、衛星放送のWOWOWでアメリカ映画の日本語字幕制作の仕事を始める。

36歳のとき、昼間は仕事をしながら、東京の夜間学校で1年間の映画コースに入学した。「子育てにも映画にも全力を注げない気がした」。振り返ってみると、彼女は「子育てを楽しめばいいんだ、映画製作はまた後でやればいいと自分に言い聞かせていた」という。

最終課題として制作した『ナイアガラ』は、自分が育った孤児院を出ようとしたとき、祖父が両親を殺していたこと、両親と交通事故で死んだと思っていた祖母が生きていたことを知った若い女性の話だ。

カンヌ国際映画祭の学生作品部門に出品し、2014年に上映が決まったときは衝撃を受けたそうだ。その映画祭で、映画宣伝担当の水野詠子と出会い、その後、水野から「10年後の日本をテーマにした短編を作らないか」と誘われる。その作品は、日本の著名な映画監督である是枝裕和が制作するアンソロジーに収録される予定だった。

早川はすでに長編映画として『PLAN 75』の構想を練っていたが、アンソロジー用に短縮版「10年後の日本」を作ることにした。

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脚本を書きながら、彼女は毎朝4時に起きて映画を観たという。台湾のエドワード・ヤン監督、韓国のリー・チャンドン監督、ポーランドのアート系映画監督クシシュトフ・キェシロフスキから大きな影響を受けたという。仕事が終わると、夫が育児をしている間にカフェで2~3時間執筆をする--家事や育児の負担が女性に偏っている日本では、比較的珍しいことだ。

早川がアンソロジーに寄稿した18分の作品が公開された後、水野詠子と彼女の夫であるジェイソン・グレイは、早川と協力して拡張脚本を開発した。撮影が始まったのは、パンデミックの真っ最中だった。「高齢者の生活を優先していないコロナ流行の国もあった」と早川は言った。「ある意味、現実がフィクションを凌駕していた」

早川は、長編映画ではより繊細なトーンを採用し、希望に満ちた感覚を注入することにした。老女とその仲間たち、安楽死施設で働くことになったフィリピン人介護士の話など、いくつかの物語を追加した。

日本におけるフィリピン人コミュニティのシーンは、支配的な文化との対比として取り入れたと早川は言う。「彼らの文化は、誰かが困っていたらすぐに助けるというものだ」と早川。「それは日本が失いつつあるものだと思う」

日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれた娘で、介護者のマリアを演じるステファニー・アリアンヌは、早川から感情を抑えるよう促された、と語った。あるシーンでは、涙を流したい衝動に駆られたという。「でも、チエは私に泣かないようにと求めた」。

安楽死の是非を問うだけの映画にはしたくなかったと早川は言う。「どのような人生の終わり方をするか、どのような死を望むかは、とても個人的な決断だと思う」と彼女は言った。「白黒つけるようなものではないと思う」

Original Article: A Filmmaker Imagines a Japan Where the Elderly Volunteer to Die.

© 2022 The New York Times Company.