
トヨタのEV化は、新CEOの佐藤恒治の肩にかかっている
53歳の佐藤は、世界最大の自動車メーカーの最高経営責任者(CEO)として、別の鍵を手渡された。トヨタの過去にロマンを抱くのではなく、未来をしっかりと見据える必要がある。
(ブルームバーグ) -- 長野県のチューンナップショップが、往年のAE86カローラ(通称ハチロク)の買い手を見つけた。それは、当時トヨタ自動車の高級車ブランド「レクサス」のトップだった佐藤恒治である。佐藤はその象徴的なスポーツハッチバックの納車を受ける前に店に入って店主と談笑した。これは、誰も想定していない佐藤の行動だった。
53歳の佐藤は、世界最大の自動車メーカーの最高経営責任者(CEO)として、別の鍵を手渡された。トヨタの過去にロマンを抱くのではなく、未来をしっかりと見据える必要がある。
トヨタは、2兆8,600億ドル規模の世界の自動車産業とともに、電動化と自動化へのシフトという一生に一度の激変に直面している。EVへの移行が予想以上のスピードで進む中、トヨタ自動車、フォルクスワーゲン、フォード・モーター、ゼネラル・モーターズといった既存企業が、どのような道を歩み、生き残ることができるかが大きな問題となっている。
SBI証券の遠藤功治は「新しい波が来ようとしている」と語る。「手遅れになる前に、日本メーカー各社は十分な備えをしなければならない」と述べた。
2月の首脳陣発表の際、佐藤は「EVファースト」をより大胆かつ迅速に行うつもりだと述べ、レクサスを戦略の中心に据え、2026年までに電池生産と製造プラットフォームを一新することを約束した。しかし、今のところ具体的な内容は出てきていない。
佐藤は同イベントで、過去14年間CEOを務めた豊田章男が会長に就任し、引き続き自動車メーカーの戦略に影響力を行使できるようになることで、トヨタの多角的なアプローチを強調した。
ブルームバーグ・インテリジェンスのアナリスト、吉田達生は「佐藤は船長になったが、トヨタは巨大な船であり、経営陣が変わったからといってすぐに軌道修正ができるわけではない」と指摘した。「もちろん、船のオーナーは依然として豊田章男である」

これまで豊田は、祖父が創業した自動車メーカーが、顧客にサービスを提供し、ポストガソリンの未来にうまく移行するためには、電池、ハイブリッド、水素、レガシー燃焼エンジンなど、さまざまな技術に賭ける必要があると一貫して強調していた。
「私たちは、利用可能なすべての選択肢に可能性を見出しています」と、佐藤は3月に述べている。アナリストは、佐藤が数カ月以内に計画を発表すると予想しており、そうなればトヨタは、EVの2大プレイヤーであるテスラや中国のBYDと、より直接的な競争をすることになるかもしれない。
佐藤にとって、EV専用の生産プラットフォームをゼロから構築することは、バッテリーEVを拡大し、ライバル2社に奪われた勢いを取り戻そうとする初期の課題であろう。
東海東京調査センターのシニアアナリスト、杉浦誠司は「大きな疑問は、この計画が佐藤氏独自のものなのか、それとも前任者に恥をかかせないようにするためのものなのか、ということだ」と述べた。
2021年12月、トヨタは2030年までに年間350万台のEVを販売することを宣言した。しかし、2022年3月期に販売した950万台のうち、バッテリーEVはわずか1万6,000台であり、完全な電動化ラインアップを約束することも、2050年までにガソリン車を廃止して脱炭素化を図る計画を打ち出すことも躊躇していると、再び批判されるようになった。
昨年、トヨタが初のEVであるbZ4Xを発表したときは、大きな期待が寄せられた。しかし、ホイールのボルト締めが甘く、タイヤが脱落する恐れがあるとして、数千台がリコールされ、面目を失うことになった。10月に販売が再開されたとはいえ、佐藤はトヨタのバッテリー式EV(BEV)が脚光を浴びるに足るものであることを証明しなければならない。
その多くは、佐藤を支える経営陣にもかかっている。トヨタは、副社長の層が厚いことで知られている。男性ばかりの経営陣の中で、中嶋裕樹は最高技術責任者に、宮崎洋一は最高財務責任者に、サイモン・ハンフリーズは最高ブランド責任者に任命された。

佃モビリティ総研の佃義夫所長は、「新CEOは若いが、昭夫氏の古巣は残っている」と指摘する。「彼らはまだ、佐藤と彼のチームがすべてを任せられるかどうか、確信が持てないのだ」。
昨年、長野の中古車店で交わされた会話から、佐藤のリーダーシップの一端を垣間見ることができた。佐藤は、レクサスで出世し、トヨタを率いることになった若いエンジニアである。
トヨタの元エンジニアで、現在は愛知工業大学の教授である藤村俊夫は、「マニアは、顧客が何を求めているかを理解するのに適している」と言う。「自動車会社にとって、自動車を愛する人が率いるのは理にかなっている」。
1983年に生産が開始されたハチロクは、すぐに日本のアイコンとなったが、90年代にはアニメ『頭文字D』で人気を博し、カルト的な人気を得た。ほぼノーマルな状態にまでレストアされた原型に出会ったとき、佐藤は思わず声を上げたという。
「このクルマは、私の青春を象徴するクルマです」と、12月に同店のYouTubeチャンネルに投稿された動画を見て、佐藤は語った。「この車には大きなファンがいて、多くの人が憧れているのは知っている」
Toyota’s Shift to Electric Future Rests on Koji Sato’s Shoulders
By Nicholas Takahashi and Tsuyoshi Inajima
© 2023 Bloomberg L.P.
翻訳:吉田拓史、株式会社アクシオンテクノロジーズ