いつ私たちの社会はフィルターバブル問題に決着をつけるのか?

「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」などの用語は、ソーシャルメディアや政治コミュニケーション研究を超越して世間の意識に浸透しており、特に今日の社会における二極化や、ドナルド・トランプやブレグジット支持者の勝利のような国民投票の予想外の結果と関連している。要するに、これらは私たちを同好の士気を持つ人々と結びつけ、それゆえに私たちが遭遇する情報の多様性を減少させるソーシャルメディアの傾向を表している。

実際、ソーシャルメディアの研究には流行があり、かつてはソーシャルメディアを解放、情報への自由なアクセス、そして全体的な民主化のためのツールとして扱い、楽観的な見方を主張することがマナーの表れであった。この解釈は「アラブの春」の頃にピークを迎えたが、それ以降は衰退し、より否定的なものへと変化している。このアクシオン(Axion)というメディアの始まりも、創業者の吉田がインドネシアの大統領選挙で、大規模なSNSと物理的コミュニケーションのトロールに出くわしたことがきっかけだ。

ソーシャルメディアに対する悲観的な見方は、2016年の激動の年に支配的になり、それ以来、あらゆる種類の社会的・政治的な悪事の大きな要因としてソーシャルメディアを非難するのが常態化している。

"Are Filter Bubbles Real?"を書いたクイーンズランド工科大学クリエイティブ産業学部の教授(メディア学、ジャーナリズム) であるAxel Brunsが主に主張していることの一つは、フィルターの泡の話はすべて安易な逃げ道に過ぎず、それによって私たちは「テクノロジーのせいにするだけで、私たちが置かれている混乱から自分自身を解放しようとしている」ということである。特にソーシャルメディアのように浸透しているものを研究する場合、支配的なプラット フォームのアーキテクチャやポリシーがすべてを決定していると単純に思い込むことで、原理主義の一形態に陥りやすくなる。

同様に、Brunsの主張は責任の問題を指し示している。一旦、因果関係をテクノロジーに帰属させれば、社会的な悪事に対する責任と、それを改善するために何らかの努力をする必要性を、私たちは気楽に回避することができる。Brunsが指摘しているように、このようなスケープゴートは、一般の視聴者だけでなく、政治家や主流メディアの幹部にも見られる特徴であり、それによって、社会的なレベルで根深い問題に対処することができなくなっている。

フィルターバブル研究は、多くの場合、それらのバブルが直感的に意味を持つという「感覚」や、誰もが(自分たちのフィルターバブルの中で)それらについて話しているという「共感」に頼っていきた。さらに、存在する研究(最も顕著なものはEli Pariser(2011年)やCass Sunstein(2017年)などでさえ、フィルターバブル効果を明確に実証するには至らないことが多く、また、実証したとしても限られた範囲(例えば、特定の過激派グループ内)でしか実証できないことが多い。

しかし、Googleの子会社であるDeepMindの研究者Ray Jiangらは昨年3月に公開した論文で、ユーザーの興味関心をモデリングし、それをレコメンデーションアルゴリズムを使用したシミュレーションで相互作用を調べた結果、たしかにフィルターバブル、エコーチェンバーは発生していた、と主張している。

参照文献

  1. Eli Priser. The Filter Bubble: How the New Personalized Web Is Changing What We Read and How We Think. 2011.
  2. Cass R. Sunstein. Republic: Divided Democracy in the Age of Social Media. Prinston Press. 2017.
  3. Axel Bruns. Are Filter Bubbles Real?. November, 2019.

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