【文字起こし】SNS戦争の背後で相克する2つの政治思想|会田弘継|メディアの未来#4
Photo by Etienne Girardet

【文字起こし】SNS戦争の背後で相克する2つの政治思想|会田弘継|メディアの未来#4

以下はインタビュー「SNS戦争の背後で相克する2つの政治思想|会田弘継|メディアの未来#4」の文字起こし。読みやすくするため編集を加えている。以下のやり取りはポッドキャストで聴ける。

吉田拓史

以下はインタビュー「SNS戦争の背後で相克する2つの政治思想|会田弘継|メディアの未来#4」の文字起こし。読みやすくするため編集を加えている。以下のやり取りはポッドキャストで聴ける。

SNS戦争の背後で相克する2つの政治思想|会田弘継|メディアの未来#4
デジタル化、スマホ化、そして近年のSNSをめぐる様々なトラブル。「メディア」は再び岐路に立たされている。そこでアクシオンでは「メディアの未来」と題し、編集長の吉田拓史が様々な識者にインタビューを行うことにした。第4回の相手は米政治学者の会田弘継。

会田:Voiceにも書いておきましたけれども、フクヤマの論文などでも私が翻訳した『政治の起源』ですね。つまり、人間というのは元々つながりを持って出発しているといいますか。生まれた時から家族の中に生まれるわけで、一種のコミュニティーの中で生きるというのは人間存在の始まりで、いわゆる啓蒙思想が描いたような全く1人だけでいるインディビジュアルという状態はないわけです。ですから、いったい何が重要かというとコミュニケーションというものが非常に重要なのです。

その手段が、でも、人類史の中では何度か大きく転換した時があるわけです。一番有名なのはやはり宗教革命というか、改革の時に起きるグーテンベルクの存在です。つまり、活版印刷ができたことによって大きな人間意識の変化があるわけで、それがたまたま聖書のバナキュラー訳といいますか。聖書そのものはギリシャ語やラテン語で教会の中で教えられていたわけですけれども、それが普通の人々の言葉に置き換えられることによって、それとメディアの発展によって、人間存在が大きく変わるということです。

そのようなことが人類史上何度かあるわけです。一番最初はオーラリティー(口述)からリテラシーと呼ばれるのですけれども、簡単に言うと稗田阿礼(編注:古事記の編纂者の一人)の時代があります。つまり、住んでいて文字がない時代においては音によって記憶されていました。それで、膨大な歴史を全部記憶して、それをずっと引き継いで、その時代の人間の姿というものは恐らく今の人間よりもずっとある意味で脳が発達しているというか、優れていました。つまり、外部化することによって人間の脳は縮小していくのです。

文字を発明すると、もう記憶する必要がなくなるからです。ですから今やっていることはそれです。どんどん人間の知性は縮小して外部化して、ばかなことをやっているわけです。万年単位で見ると、オーラリティー、つまり全部音によって記憶していく時代から、文字を持った時代によって堕落するのです。文字を持って、さらにそれはグーテンベルク的にたくさん印刷されることで、また便利になるから堕落します。それがずっと来ていて、今最後の、最後かどうか分かりませんけれども、すさまじい堕落の時代ですよね。

それでしかもそれを匿名でやっているという、もう堕落の極みに来ているといいますか。そこで大きな政治的な混乱が起きるのは仕方がありませんというのが、私の大きな考えです。

吉田:この話だけでもずっと話したい感じです。

会田:それが今の実際に起きているアメリカの、今日はたまたま中間選挙の開票が今どんどん進みつつあるところですが、このアメリカの混乱もそのような大きな、大きく言うと、人類史の混乱というか近代のもたらすいろいろな混乱の中の1つの大きな山場で起きているのだろうという気がします。

吉田:そうですね。恐らく後の歴史の教科書などではとてつもない時代と定義されそうですね。

会田:そうです。ですから、それこそ宗教改革とグーテンベルクの時代というのは長く、宗教戦争は30年と言いますけれども、前後もいろいろ含めて100年くらいはすさまじい殺し合いの時代が続いてしまったわけです。そこらへんは人間の意識が大変化するときの代償、近代化の代償のようなことですよね。

吉田:そうですね。今、戦場がつまりデジタル空間に移ったという感じです。

会田:それもあります。それから実際に人間が混乱するから、ウクライナで起きたりしているようにいろいろな物理的な破壊活動も出てきてしまいます。ですから、もちろんデジタル空間というかサイバー空間の中での意識の混迷がありますから、それに並行してこの実際の現実の世界でもその混乱を反映するような物理的な混乱が生じてくるわけです。それは往々にして暴力になるといいますか、そういうことではないでしょうか。アメリカの選挙に並行して、さまざまな暴力的な混乱が出るというのは、2020年の選挙の時予想されたことです。

それはもうこの間の大統領戦のおおよそ投票の1年くらい前から、それを巡ってアメリカのシンクタンクやいろいろなところで大議論をやっています。多分とてつもない混乱が起きて、暴力沙汰が起きるのではないか。それが実はもう2年前の、大統領選の始まる1年前くらいから、そのような議論が水面下で非常に激しく起きていたのです。そして一部のものは、メディアによって伝えられだすのは春先くらいから夏にかけていろいろな、選挙を巡って物理的に混乱が起きるといいますか。

そしてそれは一部が暴力になって、人がけがをしたり亡くなったり、いろいろなことが起きるのではないかという、今回もそのようなことは起きるかもしれないですよね。といいますか、既にいろいろな混乱が起きています。

吉田:2016年の段階ではフェイクニュースと呼んでいたと思いますけれども、今は一部の人たちにとっては真実になっていて、一過性の現象ではなくなりつつあるというのは、かなり怖いところです。

会田:そうですね。ただ、そのゆがんだ情報空間の中にいるというのは、私のVoiceの論文にも書きましたが、メディアが発達してくるともう常に起きていることなのです。ですから、フェイクニュースというものはずっとあるわけで、その境界線はとても微妙なところがあります。極めてゆがんだ情報を与えられて、それはほとんど真実で構成されているけれども、ファクトで、しかし実はそれは真実とはずっと離れた、極めてゆがんだ形をした世界です。そして、われわれは日本という情報空間で生きていると、それは日本型にゆがんでいます。

海外から来る情報なども取捨選択したりしてわれわれは知っているわけで、日本という情報空間に合わせて歪めて取り込んでくるわけです。それによって他の情報空間で生きている人たちと違う世界像を持っています。その世界像が合わないから、時々激しい物理的な衝突に、戦争のようなことになったりするというイメージを描くことができます。つまり、情報空間はあちこち皆それぞれゆがんでしまっていて、それは一致できません。

そして、相手側の生きている世界はフェイクだと思うのです。それは20世紀の初頭も、日本は英米本位の世界体制を崩さなければいけないと、近衛(文麿)などはもう1920年代から言い出すのですが、それはわれわれの描いている世界像と彼らの描いている世界像あるいは未来像が違うから、そこで激しい政治的な衝突になっていく、そのようなことが起きるわけです。今、もうロシアのプーチンの下で生きている人たちの情報空間を、それがフェイクだというべきかは、とても難しいのですが、われわれの生きているこちらの情報空間が何なのかといいますか。

それぞれ、自由民主主義の中ではそこは極めていろいろな修正の仕組みがありますから、直そうとするわけですけれども、ただ、忖度(そんたく)などが日本で行われるのですが、この発言は今この国の空間の中では受け入れられないと思うと、皆押さえてしまいます。危ないから言いません。それは別に民主主義の空間の中でも起きるわけです。それは一種のモブ現象が起きてしまうのです。

ネットの世界の中でもう常に起きていることで、今の情報空間の形と違うものは排除しようとする、そのようなことが起きてしまいます。ですから、そうした人たちはバッシングに遭ったりするのです。それが間違っていたか何なのかということは、本当に随分たたないと分かりません。正しい情報空間だと自分は思っているけれどもそれを疑わないと、それもずっと、一番単純明確にそのようなことを整理して教えてくれたのはウォルター・リップマンです。

それはやはりようやくラジオ、1920年代の初めですからラジオが出始める直前くらいで、新聞メディアというものが巨大な、これは輪転機ができることによって、グーテンベルクの時代よりももっとすさまじい形で情報の大衆化が進み出します。ですから新聞が万単位、数十万も含めて輪転機であっという間に刷れるようになって、新聞が普通の人々に行き渡りました。それ以前の新聞は知識人だけに占有されているような状態です。恐らく明治の初期の頃もそうでしょう。

いわゆる大新聞と呼ばれた政治論議をする新聞は、村でそれこそ大地主さんや、そのようなところだけが読んでいて、他の村の人たちに今このようなことが起きているとつたえます。そういうもので、アメリカの独立期もそうです。有名なフェデラリスト・ペーパーズというアメリカの政治思想の基礎文献になるのですが、これはニューヨークの新聞に連載されているのですけれども、それは読んでいる人たちはかなり社会のごく一部のエリートたちです。新聞がそうしたものだったわけです。

そのようなことが変わっていくのが、大体19世紀の半ばに輪転機が発明されて、安価に大量に新聞が刷られるようになっていきます。その中から最初のフェイクニュースのモデルでイエローペーパーというものが出てきて、有名な米西戦争の始まりにメイン号、これは後のパールハーバーの時に使われる「メインを忘れるな」というメッセージで、アメリカの船ですけれども、船が謎の爆発を起こして沈んでしまうのです。それはスペインの仕業だという、どこにも根拠のない当時の社会の大衆ムードに合わせた言説が新聞によって広げられます。

それでスペイン憎しとなっていくのです。それはもう民主主義の中でもしょっちゅう起きます。大衆の感情に合わせて当時は大きな新聞社というか新聞チェーンがそうしたことをやるわけですが、そのようなことが今非常に早いスピードで、しかもいろいろな人がサイバー空間でやるわけです。

吉田:そうですね。

会田:大変な混乱状態で、これは人間の意識がもう混濁してしまって、どうしようもなくなっていて、恐らくSNSから自分を切り離すのが一番治療方法になるのではないかと思います。

吉田:『アゲインスト・デモクラシー』を訳されていると思うのですが……。

会田:あれは私が翻訳したのではありません。

吉田:翻訳していないのですか。書評されていたと思います。

会田:書評をやっていましたね。

吉田:今のお話で、例えば日本でも大正デモクラシーがあって、たくさんの人が政治につながって動員されました。そこに今言ったメディアの働きもあったというところから、だんだん太平洋戦争までいって反省があってという感じで、そのような収縮活動は多分今ま

でも繰り返されてきて、ある種また同じ局面を迎えてはいるのかもしれません。

会田:それもスピードが早いですから、どうなってしまうのかというか、そのような不安はありますよね。理性的なことができないといいますか。どのようにしてそれを取り戻すのかということが、ですから、今起きているイーロン・マスクによるTwitterの買収の後にこれからTwitterがどうなっていくのかなど、かなり大きな問題だろうと思います。

吉田:おっしゃるとおりです。多数を政治につなぐことがいいのか、それとも今おっしゃったように少数でやるかというのは、哲人政治なとど言いますけれども、難しい問題です。

会田:ものすごく難しいです。普通選挙を目指してずっと19世紀を進んできて、日本もかなり遅く、普通選挙といっても男子だけで、アメリカは比較的早く女性にもいきますけれども日本は戦後まで、おおよそ1920年代くらいからようやく今、先進国と呼ばれるところでも少しずつ女性に広げられて、でもまず男子の普通選挙です。日本の場合は1925年ですか。まさにそこから、と同時に治安維持法ができて、それは当時の為政者たちは、いいか悪いかあれですが、その恐ろしさを知っていたわけです。

その中で当時恐れていたのは共産主義者ですから、共産主義者の先導が働けば非常に大きなことが起き得るだろうということは当然想定されるわけで、だからこそ治安維持法という恐ろしい、今度は抑えの装置を作ってしまうのです。今だったらばそのようなことは許されないわけですから。でも、そのような何の制御もない形で普通選挙法が進むと、大きな混乱が起きるのではないかという想定自体は、それほど間違っていません。

というのは、それはファシズム、ナチズムという形で、共産主義ではなくそちらの方向ですさまじいものも、共産主義自体も今になってみると大変な恐ろしい全体主義体制になってしまうわけですけれども、そのようなものを生み出すきっかけになっていくのです。ですから、今われわれが恐れなければいけないのは、まさにその1920年代~30年代というパターンですよね。

吉田:フクヤマさんのインタビューを非常に楽しく読んだのですが、フクヤマさんは『歴史の終わり』ということで、東西の緊張が終わって、今後は世界は西側の思想に統合されていくというようなことを高らかに宣言した、名前のとおり歴史的な本だったと思うのです。

会田:そうです。

吉田:それが30年たって、会田さんがインタビューするに当たって、多分思い描いていたことと全く違う未来にいるということかと思います。

会田:ちょっと難しいところです。彼とは別に、今回のインタビューだけではなく、先々週もいろいろな用事があって日本に来ていて、ほとんどパブリックなところには出ていませんが、国際組織の仕事で来て、昼間はいろいろな会議でとても忙しく、それで夜少し食事をしたりして、いろいろなことを話し合いました。ずっとこの20年くらいは、私がワシントンに行った時から定期的に食事をしたり、ここ3年は彼が日本に来ることはありませんでしたから、私も2019年以降はアメリカに行っていませんから、久しぶりに会ったのです。

ずっとこの間見ていて分かることは、彼の『歴史の終わり』の概念は修正されつつあるわけです。修正というのは別にその根幹を修正しているのではなく、さらに精緻化されつつあります。われわれが今生きているこの政治制度、日本やいわゆる自由な、リベラルな民主主義と呼ばれるもの、恐らくこれが最終形態になるということが彼の『歴史の終わり』の概念ですが、あちらで言われている、何度も言うように歴史というのは政治体制を巡る思想の戦いの歴史ということです。それをヒストリーと呼んでいます。

それは、ヒストリーというものはそうだというと、大きな意味でそうだと言えるわけです。どのような政治体制を作っていくのが人類にとってベストかというものを巡って、戦争をしたりいろいろなことをしながら、ずっと歩んできているのです。結局、最終的なものとして民主主義とリベラリズムを合わせた形のもの、なぜかというと民主主義は暴走するわけで、その権力を抑える仕組みがないといけないのです。これがリベラリズムなわけです。

そして、これを組み合わせた形というものが、これが恐らく最終形態であろうというのは、想定としては間違っていないと私も思っていますし、だとすると、ではそこにおけるリベラリズム、デモクラシーというものはどのような形であるべきかということは、まだまだ考えるべきことがたくさんあります。そして、それを巡って彼は最初に言ったことを次々と精緻にしていっています。

われわれの持っている自由主義やデモクラシーというものは人類史の中でどのようにして発展してきたのかを、これまでわれわれが考えたこととは全く違う形で歴史的に描きだしたというのが、大体2000年代から2010年代にかけての彼の大きな仕事だったのです。今一番新しい本は『リベラリズムとそれへの不満』という本で、これも私が翻訳して、もう間もなくというか来年にはでるでしょう。

吉田:なるほど、楽しみですね。

会田:大して長い本ではありませんが、リベラリズムは、ではどのような間違いを犯してきてどのような修正が必要かということについての小論を書いているわけです。リベラリズムとは何かということは、『政治の起源』、日本語ではそうなっていますけれども、あれを読んでいけば分かります。法の支配を軸とした概念です。それでそれについて、ではこの現代においてわれわれの過ちは何であってどうであったかということを、極めて細かく思想的に追いかけているといいますか。ネオリベラリズムの失敗です。

その辺りを見事に少し短い本で描きだしたかという感じです。ですから、彼自身としては最終的に彼の思想そのものは変わっていないのですが、ただ、今リベラリズムやデモクラシーというもの、リベラルデモクラシーというものは追い込まれています。それは自分たちの失敗もあって自分たちでつまずいて、さらにそのつまずきを利用してこれをつぶそうとするような勢力が力を持つようになってきたのが、現状の世界情勢です。

吉田:そうですね。

会田:ですからそれが、今、民主主義の危機というようなテーマで、ここ10年くらい多くの本が書かれて、多くの名著が日本語に翻訳されていますけれども、ここでいわれている民主主義というのは、実は短く民主主義、民主主義は元々非常に欠陥がたくさんあることは古くから皆分かっていたわけです。それをコントロールするためにリベラリズムが必要で、リベラリズムのほうがある意味で先の概念です。

そして民主主義的な、いわゆる普通選挙に進んでいくような多くの人々を政治に参加させるシステムはごくごくここ最近……歴史の中には点在しています。ギリシャの都市国家など、そのようなところでいろいろな試みがありますが、ただそれが極めて大きな規模で人類的に進んできたのは、おおよそ啓蒙思想以降というか、ここ3~400年です。ですが、法の支配やそのような概念はもっと古くから作られてきています。そして、民主主義の根幹になる概念です。

ですからそういったものを、この近代において今どうなっているか見直ししながら、もう一度、その失敗と、それから何を救い出さなければいけないか、そのような議論を今やっているところです。元に戻ると、デモクラシーのどうのこうのといっているのはリベラルデモクラシーと置き換えて読むべきで、むしろ逆にリベラリズムがうまく機能しなかったから少しデモクラシーの悪いところがあちらこちらで出てしまったりして、問題を起こしているという考え方もできるのではないでしょうか。

吉田:そのリベラルデモクラシーとは、多分とても緊張感のあるバランスの中で成立していたと思っています。

会田:そうです。おっしゃるとおりです。

吉田:そしてそのバランスを形成する人たちには、かなりの知識というか知見が必要で、かなり勉強しなくてはいけないですね。

会田:そういうことですね。

吉田:デモクラシーといえど、今言ったようなエリートサークルの中でそのようなものが成り立っていて、それがアメリカの場合は右と左があって交代することによって、一応保たれてきたという側面があるのですが、それはトランプ以前の世界です。そこに乱暴者のトランプが入ってきた。

会田:いえ、トランプ以前、トランプ的なものは、ではアメリカの中で今初めて起きているわけではなく、最近アメリカの保守思想を巡る議論というものが日本でも若干活発になってきたのはいいと思うのですけれども、アメリカでももう一回それを見直してみないとよく分からないということで、幾つか優れた本が出始めました。それでそのうちの1つ、500ページくらいある大著が若い学者によって書かれているのですが、おおよそ今のアメリカの状況、特に保守側の混迷の状況というのは、大体1930年代に同じ形が見えます。

吉田:そうですか。

会田:20年代から30年代です。そして今問題になっているのは、インターネットというかSNSの問題が極めて挙がるのですが、その原型というのは、先ほど言ったように、リップマンはラジオがどのくらい発展していくかということをまだ見てはいないのですが、でもこれから問題になることはこのようなことだと、既に大量印刷される新聞の時代にその原型が見えたわけですから、もうほとんど重要なものは全て指摘してあります。

ここで言うのですが、リップマンというとステレオタイプの話ばかり皆さんしますが、それは彼がやっていることは民主主義とメディアというとても重要な問題をやっていて、ステレオタイプはそのごく一部に過ぎません。彼の言ってることはもっと広範に、メディアの中で生きている人間の、どうしてその意識がゆがんでくるかということに対するさまざまな問題点をいろいろな形で列挙しているわけです。私は最近、その社交界という彼が挙げている言葉を使って、今の状況、これはまさにバブルの問題を説明しています。フィルターバブルの問題です。フィルターバブル的な世界は、もう新聞が大発達した19世紀の後半からその現象は起きているのです。

吉田:そうですか。

会田:いろいろな情報を得ているようないわゆるかなり裕福な人たち、どのような経済生活をしているかによって情報が入ってくる量が違いますが、ではリップマンの言っていることは、単純にメディアリテラシーの根本は、多くの情報を入れて自分の情報をうまく修正していきなさいと、情報を、少しずつ精度を上げるためには、ですから常にたくさんの物を読んだり見たり触れたりしなければ、旅行も含めていろいろなことをやらなくてはいけないということです。

ではたくさん情報を入れている人がそれで済むかというとそうではないと、また議論するわけです。それはゆがんだ仲間たちといつも一緒にいるという、それを、社交界だけで幾ら情報が入ってもゆがんだものしか見ないという問題があります。ですから、おおよそそのような問題というのは、実は1920年代~30年代はやはりラジオによって、今われわれがインターネットが出てくる前に問題にしていたエバンジェリカルのラジオの問題があったわけです。

あるいはラジオを通じたデマゴーグの問題です。それが保守派の政治をゆがめているという議論はもうずっとあって、保守派に限らず両方だと思うのですが、両方ともゆがんでしまっています。特に電波メディアを通じて、そのようなゆがんだ情報が非常に広いところに伝わるというのは、実は1920年代~30年代にもう早くも一種反動的なカトリックの神父さんがラジオを使ってやりだして、それがアメリカでものすごく大きな政治的な波乱を起こすという問題は、既に始まっています。

そしてほぼ今現在問題になっているような、トランプ現象の中で起きているようなことは大体1920年代~30年代でエレメントとしては出尽くしているといいますか。ですから、それをきちっと整理し直す大きな政治家が出てこないとなかなか難しいだろうということは、私は思います。

吉田:なるほど、循環している側面があると、人間は……。

会田:おおよそ根本的なエレメントはあまり変化がなくて、それがどのような新しいメディア媒体によって行われるか。ただ、今回の場合はその発出する側がものすごい勢いで増えてしまっています。

吉田:そうなのです。本当に物量が変わりましたよね。

会田:そうです。私は常に問題だと思ったのは、ご存じのように日本のSNSの空間というのは匿名度が異様に高いですから、これはもうこれを変えないと、今は追跡すれば分かるということが示されていますから、だんだん人々は、この匿名性だと思ってやっていても自分が勝手なことを言うと罰を受けるかもしれないということに、少しずつ気が付かざるを得なくなっているかもしれません。これをきちんと、ある意味でデタランスにしないといけませんが、監視の問題となりますからこれは怖いことなのです。

吉田:そうですね。

会田:誰が追跡することを法的にどのようにして許されるかといいますか。その点をきちんと整理していかないと、最終的にあなたは名誉毀損なので追及されるのですよということ、それが一種の抑止力としてあることは、私はいいと思うのですが、それはきちんと法的に整備されて、人権を守るような形でその追跡情報を公開できるというか使えるようにしないと、私はその辺のフォレンシックの話は専門家ではありませんから、ですけれども、一般の人でもやろうと思えばかなりのところまでできるはずなのです。

吉田:そうですね。

会田:ただ、その辺を法的にはどのような形で公権力が使っていいのかや、そのような問題をきちんと整理していかないといけません。もう急がなくてはいけないのに、これも何度も私は論壇で3~4年前に国民投票できませんよと、今のような情報空間をがさつな形で扱っていたら、いろいろな問題が起きているのにそれを黙っているのです。

吉田:そうですね。

会田:多くの問題が起きていて、それはもうご存じかと思いますけれども、2014年の総選挙の中にTwitter空間における情報のゆがみというものはドイツの学者が分析して、たった3~400万ですが、これは今はAIを使えば幾らでもできます。このようなことは、もうヨーロッパやアメリカではそのような状態を見つけたら、すぐに公権力が今危ないことが起きているから皆さん気を付けなさいという、これが当たり前のパターンになっています。サイバー空間の中で起きていることに対する情報公開ですよね。

それをサボっているのが日本です。なぜかというと、それをやりだすと過去の選挙の正当性を問わないといけないことになるからです。それが怖いのです。それが嫌だと思っているから、本当は全部警察庁や何なりの公的な機関はモニターして知っているはずなのです。

吉田:そうですね。

会田:そのような難しい問題があります。

吉田:おっしゃるとおりです。ディスインフォメーションキャンペーンは特にロシアの存在感が高く、フランスだと国民戦線などに関しての支援や、あとはクレムリンに関連する会社がお金を貸していたりする形で、欧州のそのような極性化したグループを育てるということに関してはかなり成功したと見受けていますし、それが兵器を買うよりも明らかに安いです。

会田:ずっと安上がりです。そうですね。ハイブリッド戦争というものはそのような概念なわけで、ゲラシモフはもう2014年くらいから次の戦争は全然違うと、まさにこの世界が一番正面戦線になると言っていました。ただ、今19世紀型の20世紀前半の戦争をやってしまっているわけですけれども、その前はやはり超限戦といいますか、中国は早くから20世紀末にいわゆる情報空間における戦争が次の正念場になるということは気が付きだすのです。

それで、それはでも2000年代の当初の議論はサイバー空間から物理空間に入ってくるのです。例のイスラエルがイランにやったように、サイバー空間の中から入って物理的な空間に入って、それで相手のインフラを破壊したり混乱させたりします。9.11が起きた後、それがサイバー戦の姿だろうとおおよそ2000年代は思っていました。ですからそのような本がたくさん出たのです。アニメーションでサイバー戦争になったらこのようになるのですよという、日本では映画まで作られました。

しかし、実際は物理空間に入らないで人間の意識の中に入っていくという次の手段が、おおよそ2010年代から見えてきたわけです。物理空間に入って水道の水を混乱させたり銀行システムのコンピューターを混乱させたり、あるいはさまざまないわゆるわれわれが生きている物理空間を破壊したり混乱させたりするのではなく、人間の意識を混乱させて変えていこうという、それをやったのがまさに2016年の選挙で、実験でケンブリッジ・アナリティカやロシアのやったことです。

そのようなことというのは、でも実は原型はもうある意味でかなり古いといいますか。われわれがはっきり意識しているのは、冷戦初期にいわゆるCIAができた時の一番重要な核を作る時の1つが、今の言葉で言うと文化戦争です。つまり、いわゆる共産主義側はコミンフォルムや大きな形で世界革命を起こすために、知識社会への影響をどんどん広げていくわけです。それで、知識人はもちろん未来はもしかしたら共産主義になるだろうと思っている人がたくさんいました。

それは、当時としてはもうその悲惨な人々の生活を見ていればそう思うのは当たり前で、自由民主主義はそれに対する、きちんと新しい形を提示できませんでした。それを修正していって一種社会民主主義的な制度を作っていくわけですけれども、いずれにしてもその意識を巡る戦いというものが、非常に大きな現場になることは大体1940年代、もうCIAができる時に気が付くのです。実際に激しい文化工作をやります。それは向こうもやっているからで、文化工作の戦いです。

それはどのようにやったかといいますと、ターゲットはジャーナリストや大学教授や、いわゆる知識人です。なぜかというと、この人たちが巨大な大衆メディアを使ってそこに言論を織りこんでいく人たちだからです。ですから意識社会を作っていく、ピラミッド構成があったわけです。秩序が、ピラミッドなのです。これを上からさまざまな知識がいろいろな形で伝播(でんぱ)していくといいますか。でもこれがフラットな世界になったのがおおよそ20世紀の末から、このインターネットの世界でSNSが発達してくるこの世界です。

吉田:階層秩序に関しては多分嫌いな人は嫌いかもしれないですけれども、現状は今インフルエンサーと呼ばれる人が上の階層に、これまでのエリートの部分を代替してしまって、ここがかなり問題なのだと思います。

会田:代替してしまうのです。多分そのインフルエンサーがある意味で、かつては、大学教授やジャーナリストです。それはさまざまな仕組みがあって単純にはなれないといいますか。きちんと論文を書いたり、あるいはジャーナリストの場合は、もうかなり昔から決められた情報収集や情報の取り扱いに関するルールをきちんと覚えてそれをきちんとやっていかないと、勝手にインフルエンサーにはなれません。

あるいは、つまり大衆が好きだからといってインフルエンサーになるのではないのです。これはとても厳しい階層社会のルールを1つずつ上がっていってなるという、そしてその中でさまざまな知的な訓練を受けるといいますか。ところが今は人々が感情に合致したものをやればインフルエンサーになるという、この問題です。つまり、知識社会ではないのです。感情社会ですから、感情社会でそのまま感情社会の感情をかき集める人間がインフルエンサーになるという状況です。

吉田:人間の脳をこうやって非常にハイパーコネクトにした時に、左脳と左脳がインタラクトしてとてもいいことが生まれるのではないかということが、90年代でインターネットなどが出てきた時に夢見られて、そのような人はたくさんいたと思いますし、私もそうだったかもしれませんけれども、実際には右脳といいますか。感情と感情のインタラクションが生じたという感じです。

会田:それしかありません。ですからそれがインタラクティブというか、あるいはコネクトされてしまっているといいますか。

吉田:そうですね。インタラクティブではありません。

会田:つながって、おかしな状況になっています。恐らくそれに似た混乱がいわゆる15~6世紀、宗教改革からの宗教戦争という大時代です。あるいはもっとそれに類似した巨大な変化というのは、言ったようにオーラリティーからリテラシーというか、口承文化から文字文化へ移る時も巨大な混乱があって激しい闘争があって、それはわれわれは古代神話の中で見るようなさまざまな争いです。初期国家が形成されていく激しい戦いの世界ですよね。

歴史的な通しでいくと、そのようなもの、それに匹敵するような人間の感情と知というか脳の中の混乱が今起きているのだろうというのが、私の大まかな図であります。これを早く整理しないととても悲惨なことが起きるのではないでしょうか。既に悲惨なことはたくさん、いろいろな人たちが悲惨な目に遭わされているのだろうと思いますけれども、サイバー空間の中でバッシングに遭って職を失う人もたくさん出ているわけです。とんでもない、何か30年前、40年前の発言が大変なことになったりします。

どうしてそのようなことが起きてしまうのか、当時のコンテクストは何だったのか、それを全部●されて事が起きてきます。激しい感情的な反発だけが表に出てくると、そしてさまざまな職やポストを失う人たちがあちらこちらで出始めているという問題を、ちゃんと理性的に整理していく必要があるのだろうという気がします。

吉田:そうですね。主たる目的、ピーター・ティールにそろそろ触れようかと思いまして、このようなデジタルウォーフェアの時代にのし上がってきたティールです。シリコンバレーで投資家として財をなして、似たような手法で共和党の一部を買おうとしているといいますか。

会田:まずティールが何を考えているかということを、いろいろな手掛かりをたどって、もう少し皆さん、きちんと探らないといけないのではないでしょうか。私は時々ティールについてコラムのようなものを書いているのですが、つい最近も東洋経済に書いたのでそれが今回のこの話のきっかけになっていますが、彼は1つの世界観を持っていて、有名なものは「われわれは空を飛ぶ自動車の代わりに140文字を得ただけだ」という言葉です。これが彼の1つの思想を象徴する言葉だと私は思っています。

彼が言っていることは、いわゆる産業革命移行の技術発展の世界は20世紀の半ば過ぎ、大体1960年代から70年代に突然巨大なブレーキが掛かってしまったということです。つまりわれわれが記憶している限りは、皆さんあれですが、私は子どもの頃を覚えていますけれども、月に人間が到達しました。あるいは音速を超える旅客機ができて大西洋を横断したわけです。もう70年代にそのようなことが行われました。それで、それらがさまざまな理由でストップします。

大きな理由は、人類が石油、化石燃料を使ってその発達を達成、20世紀は主として達成したわけですけれども、化石燃料の枯渇によって人類社会は、文明は、この工業化社会は激しい壁にぶつかって終わるのだと、そのような報告がたくさん出ました。21世紀初頭には、もうほとんどわれわれがエンジョイしてきているような物質文明は終わってしまって、まさに原始的な世界まで戻るのだというようなことが、まことしやかにたくさんのレポートが出されました。

きちんとしたところからです。それで、それよって公害問題などもたくさんありましたから、これは悲惨な問題になるのだということで、今日もその流れのいろいろな議論がありますけれども、それはティールは間違いだと言っています。あそこで本当だったら、われわれはあのまま70年代くらいまでの産業革命の発展を追求していたなら、その大きな意識変化が当時起きてしまってそれを放棄してしまったと、本当はマルクスが描いたような世界に入れたはずだと言っています。

つまり、週に日に4~5時間の労働で週に5日か6日働いて、年に20週くらいの有給休暇を取って皆が幸せに暮らせる、そのような時代がもしかしたらもう今ごろ達成できていたはずなのに、資本主義をちゃんとそのままきちんとしていけばです。しかしそれはその時の意識変化に終わってしまいました。ただ、1つだけばかのように発展したところがあると、それがITの世界だと言っています。このようなものは何も人間には幸せをもたらしていないのだと、彼は言っているわけです。

これは自分自身がやってきた、それは今IT世界の中で起きていることは一種の公害が起きたように似たことが起きています。それがこの今の情報氾濫です。しかも十数万円もするようなスマートフォンを日本で買わせられて、食事もろくにしないでそれでSNSの世界の中に、それでカップヌードルを食べざるを得ないと、そのような悲惨な生活を人々に強いていると――これはみんな彼の言葉です――と言っています。これがおおよそここ数年の彼の言説の主たる言説です。

これはなかなか漏れてこないのですけれども、ただ、スタンフォードで講義をやったり、あちらこちらで記録にあまり取られていない講演をしたりしているのです。そして、そのようなものが一部の人によって書き留められて、それで読めるようになっています。彼自身もっと書いてほしいですけれども、そうした彼の世界像はそれです。ですから、彼はシリコンバレーを離れて今ロサンゼルスとワシントンへ拠点を変えたわけで、とにかく政治を変えたいということです。

それから彼自身独特の逆張り思考のようなもので、ほとんとのIT企業は民主党にくっ付いてしまっているわけですから、彼らに敵対していく、しようとしています。それが言ってみれば、ペイパルマフィアの1人である一番近いイーロン・マスクを使ってTwitterを買収させてといいますか。これは、させてというのは私の語弊がありますが、ただ、つながっていますから、とにかくもう一回この辺りを彼らの思うように動かして再編して、それで最終的には今の政治状況を大きく変えたいと言っています。

その辺りは簡単に言うと破壊を通しての大改革といいますか。アメリカ資本主義の改革のようなことを狙っています。これは、そのような発言を匂わせるようなことを聞いたという人がいるわけで、それがメディアに報じられています。それからバノンなども彼らが狙っていることは極めて大きいと、スティーブ・バノンです。これはトランプ支援を通じてあちら側につながっているわけですから、ただ、ではトランプを全面的に支援しているのかというと、どうも違います。

というのは、例えば2020年の選挙の時にはお金を出していません。今回出しているけれども、一応下院議員選挙については例の10人いたわけです。トランプ訴追、いわゆる弾劾訴追について、共和党から賛成票を投じた人たち、この人たちの、この人たちは始めから自分は次の選挙は勝てないともう思っていましたから、大部分の人たちは引退する人というか4人くらいは、あと6人くらい残っていましたがこれは皆トランプの死角候補、これを落とすための候補です。

それにピーター・ティールはお金を出してつぶさせています。ただ、上院議員は一番有名なのはオハイオのバンスとそれからアリゾナのマスターズです。これは別に実はトランプとあまり合致していませんが、一応トランプ派の振りをしているけれども少し違うアジェンダがあると私はそう見えますし、恐らくティール派といいますか。トランプは利用している、トランプは道具だというようなところがあって、今このトランプが人々の感情を揺さぶって動かしているわけです。

これをうまく利用して、この票を使って彼らが考える大きな変革を目指しているのではないかという気がします。その先の世界は何かというのは私にはよく見えませんが、今簡単に言うとアクセルレーショニズムと呼ばれる思想の1つなのだろうと思っていますけれども、一種今起きている混乱のようなものを極限まで持っていって、そこで大きな転換、結局大失敗するわけですが何か大きな破綻のようなことが起きるわけですから、その向こうへと、向こうへと持っていこうとしているようなところがあるのではないかと思います。

ですから本当に世界中気を付けないと彼らが、彼らの誰かが大統領になるのではなくそのような勢力がだんだん力を付けているわけで、そのような人たちが上院議員などにも、たくさんというか何人か、私から見るとこの人もそうしたグループだろうということが見えてきます。そのような話をすると少し長くなりますから、おおよそティールが考えていることは皆さんつぶさに観察したほうがいいと思います。

単にお金を出しているという話ではなく彼自身何を考えているのか、これまで考えてきたこと、彼があるいは書いたり話したりしていることの軌跡をもう少し注意深く見るべきではないだろうかということが意見です。

吉田:トランプがコロナ禍の対応でかなり失態を繰り返した時に一度ティールは離れているのですが、その後トランプが不死鳥のように強いということが分かってから、また仲よくなっています。

会田:使えると思っているのでしょう。その辺りがトランプは何か分からないから、お金を出すと思って、その辺りはキツネとタヌキの化かし合いのようなところがあるのだろうと私はにらんでいるのです。

吉田:なるほど、会田さんが想定するティールの、混乱を引き起こして次の描く世界に行くということはどうなのですか。懸念されているのでしょうか。

会田:新しい世界、彼の思うとおりにはならないだろうけれども、そのように考える勢力がしばらくアメリカ政治の一角にいて、しかも頭のいい人たちが多いのです。それでティールは大学時代は、私はよく知らないですが、ルネ・ジラールというフランスから来た哲学者の下で勉強していて、もちろん彼は法学部といいますか。いわゆるロイヤーになろうとしていたわけですが、哲学の授業が恐らく彼に最も影響を与えた授業なのだろうと思います。

それは彼自身がルネ・ジラールの思想について、いまだに自分が学んだものをスタンフォードの学生たちに講演で教えているわけです。ですからその辺りの、私はルネ・ジラールがどのようなフランス思想の系譜にあるかよく知りません。でも怖いのは、今トランプ派と呼ばれる人たち、あるいはトランプ自身も気付かずにいる、一種のポストモダン的な世界の中に入っているようなところがあるわけです。つまり、モダニティーはもう失敗するのだと、どこかでもう破綻しそうなのだということです。

ここがフクヤマが一番彼らと対立する部分です。フクヤマが支持するリベラルデモクラシーの世界というものはこれから完成していくのだということです。しかしそれはもう終わっているのだといいますか。そのような思想系譜の流れにおおよそこのトランプ派と呼ばれる人たち、それがまさに懸念される全く虚構の世界にはまり込んで生きているような人たち、ほとんどポストモダン的な現象です。そのようなことが起きるわけです。

ポストモダンは真実など信じませんから、真実などないのです。ポストトゥルースです。それはそのようなものを生み出した根源はやはりフーコーやソシュール辺りが始める、言葉に対する概念が変わっていくのです。20世紀の中葉から、言語学から始まってそこから生まれてきた新しい哲学世界というか思想世界です。これといわゆるモダンな、いまだにモダンの将来を信じている人たち、巨大な戦いがそこにあるのだろうと思うのです。そこはとても難しいです。

ですから、ワクチンの問題などはほとんどポストモダニズムの世界です。ヨーロッパのポストモダニストの哲学者たちがトランプを支援したり、そのような言説がたくさん出ていました。ですからその辺りは非常にややこしいですよね。

吉田:なるほど、そのある意味とてつもない進歩主義のようなものを胸に秘めているけれども、それを実現する方法がある種中国的な権威主義とも言えるような感じがあると思います。情報操作されて真実を知らない人たちを使って、その人たちを意のままに動かすことによってそれを実現するということです。

会田:そうですね。その根底にあるのは非常に強いニヒリズムです。つまり、真実などはないのだということです。われわれの生きている世界に本当に大きなトゥルースというものがあるというのは嘘だと。メディアは皆主観なのだと。まさにフーコー、それからソシュール的な概念から言うと、全ては主観なのです。ですから客観報道などはないのだ、そのようなメディアはうそなのだと発達しています。

そうではありません。そのようなことは皆分かっています。その中でどのようにして客観的な事実や真実と呼ばれるものを充実していくか、それが近代の大変な努力だったのです。

吉田:そうですね。

会田:それをうっちゃってしまって、皆個人は違うのだから皆意識が別々なのだから、真実やファクトなどといったものはないのだと、それがまさにフェイクニュースがはびこる世界の意識の根源です。本当に、それはポストモダンの世界です。その辺りをしっかりと、それでまさにティールはそちら側の激しい動きを取っているのだという気がするのです。大きな戦いですよ。それで、巨大な戦いがまさにこのSNSの世界がある意味でその真実のない、ファクトもない、そのような人たちによって、利用されています。

今中国の知識社会の分析は本当に急がれます。絶対に彼らが今非常に強く規定しようとしているのは、近代社会の中で生まれてきた政治学やあるいはメディア論や、そのようなものに全く反するような政治思想を生み出そうとしているわけです。そして、私はそちらの専門ではありませんけれども、一番その辺りを詳しく分析しているのは、私が見た限りでは日本人では立教大学の福嶋亮大、『ハロー、ユーラシア』です。
中国の政治思想が今どうなっているのか、それはヨーロッパにおけるポストモダニズムの先駆的な思想家や例えばカール・シュミットなど非常に中国でははやっています。

吉田:そうですか。

会田:それで、それと中国のいわゆる古い儒教的な思想などとぶつけながら、つまりもう共産主義ということが成り立たなくなったから新しい政治思想を、それには一種反近代主義的なヨーロッパで生まれた思想、あるいはレオ・シュトラウスのブームのようなものが起きていて、それとさまざまなものを組み合わせていくのです。例えばアメリカにおける国際関係論的な思想を排除していきます。そして新しい国際関係の議論を作り出していきます。

非常に大きなそうした知識社会の試みがあって、それが今のプーチンがやっていることなどとつながっているのです。はっきりとつながっていませんが、形が似ています。それはまさにわれわれがずっと作ってきたモダンなものを破壊しようとするような動きです。今こちら側がかなりがたついていますから、とても大きなチャンスなのです。

つまり、プーチンの発言やさまざまもの、先ほどおっしゃったようにヨーロッパに生まれてきたさまざまな右派勢力とのつながり、それは一種そのような左派で言えばポストモダン的なものとつながっていたり、そのような形でうごめいています。そしてそれは真実がありません。ファクトがありません。ファクトなどはどうでもいいといった世界です。その辺りはしっかりと考え直さないと、もう一回情報空間といいますか。

そこの建て直しが一番、ここが根幹ですからここをきちんと、何をもってわれわれは信頼すべき情報だと考えるのでしょうか。そのようなところをきちんと一個一個確立していかないと、非常に危機的な状況だと思っています。

吉田:なるほど、とてもよく整理がついたといいますか。ある種文明の衝突ですよね。

会田:曲がり角のようなところです。

吉田:曲がり角にあるということですか。

会田:これはあるところで書いたのですけれども、この世界の大きな思想の戦いだと、今起きている状況をウクライナ戦争も含めて見る時に1つの見方があって、キーワードはやはりリベラリズムなのです。リベラリズムとそれからイリベラリズム、つまり非自由民主主義です。これは分析的にいろいろなところで分析されていますが、プーチンがどのような思想に基づいて今物事をやろうとしているのでしょうか。それは確固とした思想家の名前などは見えませんが、ドゥーギンなどいろいろな人が言われています。

そしてそれぞれ、この人がプーチンの思想を動かしているとは言い切れないものが多いのですが、イワン・イリインなど、あるいは今の側近の中のこの人とこの人だと、この人の思想だといろいろ言われているわけですけれども、プーチンの後スピーチの分析や、ただここ2007~8年くらいから、プーチンが何か異様な状況になりだしたと思われたのは彼が第1期目といいますか。2期やりましたが最初の大統領を終えて、2008年に終わるわけですけれども、2007年にミュンヘンで行われた安全保障会議です。

ヨーロッパで有名な各国の首脳や防衛大臣、国防大臣が出てくる、アメリカからも来る、日本からも参加します。その場で突然この激しい西側批判をやりだしました。もう外交の常識を突き抜けたような激しい批判です。そしてその辺りが大きな転換点だったのではないかと私は思っていますが、そこから彼が今日至るまでにやっていることを見ていくと、1つのキーワードがあるとしたら非自由主義、非リベラリズムなのです。ではそれはなぜなのかというと、やはり追い込まれたといいますか。

2010年前後、自由と民主主義が非常に大きな勢いで拡大していくと彼は見えたのです。特にアラブの春や、失敗していくわけですけれども、ただその影響で旧ソ連圏にいわゆるカラー革命が起き出します。それだけではなく大体その頃までは自由と民主主義の拡大は非常に強い勢いであるように見えました。このままだとロシアというものが変わってしまうというか、自分にとって、あるいは自分の権力維持に不都合なことが起きる、それは実際起きたわけです。

2011年の下院選挙があって、プーチンが返り咲くのがもう決まっていたわけですが、恐らく今日まで最も激しかった反プーチンデモがロシア全土で起きます。それはほとんとアラブの春の末期と一致していきます。この頃そこからカラー革命が、最初のあれは2004年くらいからウクライナで起き出しますが、カラー革命の時代が相前後して起きます。その辺りの問題をきちんと整理していかないと、今プーチンが何をやろうとしているのかよく見えないところがあります。

それは中国も同じです。つまり、共産主義がなくなった後に何をもって、どのような思想を確立して将来の国家像を、その時に自由と民主主義と資本主義を追いかけていったら全く同じになってしまうわけで、ただ、そうはなりたくないのです。WTOに入った、自由主義経済になった、資本主義になった、そしてそれと付随して自由が動き出したら、それは自分たちで幾らいっても後発の自由民主主義国家に過ぎません。それは絶対に彼らにとっては嫌なのです。違う道を探しているわけです。

そして、そちらのほうが優れていると示したいのです。実際にコロナで一生懸命やろうとしています。

吉田:そうですね。プーチンの行動は、反グローバリズムですか。

会田:まさにそうなのです。

吉田:それこそフクヤマさんや、以降急激に進んできたグローバリズムですね。それでほとんどの構成員にとって利得があったと思います。つまり、貿易額が増えていくので経済的なうまみはあったと思います。

会田:グローバリズムとリベラリズムは切り離せないのです。ですからこれからずっとリベラリズムを追いかけていけば、まさに国境のない世界になっていきます。でも、そこにネオリベラリズムでどんどんそれが進んだがために、さまざまな弊害が起きてしまったわけです。ですからこれをもう一回、国家主権というものは何なのかや、国家を超えてリベラリズムを維持していく単位が見つかっていません。

つまり何が必要かと言うと、一定の領土内で自由を守るためにそれに反するようなことを行った人を処罰したり、あるいは外部からその自由主義を破壊しようとする勢力が武力を持って来た時に、それを止めたりすることができなければリベラリズムの維持は残念ながらできません。ですからステート(国家)が必要で、ちゃんとそこには法の支配がきちんとそこで行き届いて自由を皆享受できる制度的な維持をする仕組みが必要です。そしてそれは国家、ステートなのです。

ですからそれがフクヤマの思想の発展の一番重要なところで、彼が『歴史の終わり』からおおよそ30年かけて築いた最も重要なことは、結局いまだステートを超えるものはないからこのステートをきちんと維持していかないと自由民主主義の世界的な収れんには進めない、そこが今の彼の30年間の一番大きな改編の基礎です。ですからグローバリズムだけでばーっとやっていていいものなど、そして自由と民主主義は広がっていくのですが、それは必ずステートを基準として広がっていくということです。

これを超える単位が今のところ見つかっていないわけです。そこが面白いところですよね。いずれにしても、そのような自由と民主主義に対する激しい、なぜ抱くのか分かりませんが憎しみのようなものが、向こう側に間違いなくあります。

吉田:中国が非常に興味深かったと思っていて、習さんが3選を決めるまでももちろん権威主義的な体制というものはあったわけですけれども、政治に触れなければビジネスなどの側面においてはまあまあ自由な社会があって、そのような両義的な世界ができていたりしていました。

会田:それが、でも変わっていってしまったといいますか。ついにビジネスの世界までどんどん手を入れだして、私が思うに2012年に習近平体制になって、2013年に共産党中央委員会から出された文書で当時は有名だったのですが、「9号文件」と呼ばれる文章があって、一応これは今はもう探せばいろいろなところで文章の内容が分かりますけれども、中央委員会から地方へ伝達したというか、主として知識人といいますか、共産党内でそのような知の部分と、思想的な部分と関わる人たちに対する指令です。

否定しなければいけないものがそこに書かれているわけです。これはもう明らかに、つまりコンスティチューショナル、立憲主義、それから西側的な自由なメディアという概念や、その他いわゆる自由民主主義に関わる主要な概念全て、これは全て否定しろという指示なのです。これは、ですから思想統制が激しく始まったということです。おっしゃるとおり、胡錦濤時代まではそのような概念も取り込みながら発展していくようなふしが見えます。

メディアもかなり自由になっていったし、調査報道なども始まったりして、権力の、まだまだ共産党のシステムの中ですけれども、それを行うような動きが大体北京五輪やあの辺りを頂点にあったのです。ところが、それが習近平、次の体制が決まりだす頃から、どんどんと縮小していくといいますか。それでもう始めから思想統制が始まりだしました。そして、この辺りが今の政権の正体がもう最初に見えたところがあります。その中で、ではそのようなものを否定して、どのようにして資本主義を動かしていくのでしょうか。

資本主義にとって自由な情報の流通は根幹的な問題ですから、そのような問題をどのようにして扱っていくのでしょうか。つまり、自分たちで新しい思想体系を作っていかないといけないわけで、今その作業を一生懸命一部の知識人たちがやろうとしている最中です。新しい全体主義の思想というものが、恐らくできてくるのだろうと思います。いろいろな面で、それは非常に効率よく今のところ見えるのです。本当に、自由と民主主義というものはとても効率が悪いですから、効率ばかり求めるようになると、わざと効率が悪くなるように作っているのです。

これはまさにおっしゃるとおり、合衆国が世界最初の自由で民主主義的な国家として生まれようとする、憲法体制を作るわけですけれども、そこでわれわれが作ろうとしている国家はこのような理念に基づいていますということを一般の人に説明するために新聞に書かれたのが、そのフェデラリスト・ペーパーズなのです。それは簡単に言うと、何を言おうとしているかというと、この制度で効率などはありませんと、というのは、誰かが権力を勝手に行使して物事をどんどん進めようとするのは危ないから、それを抑えるためにどのような仕組みを作ったかということを説明しているのです。

非常に効率を悪くしています。それが権力を押さえ込むための唯一の方法だからです。まさに三権分立というか、もっと正確にマディソンが言っているのは、野心を持って野心を押さえ込むのだということです。つまり皆権力を持ちたいと思っているわけで、皆自分が得をしたいと思っているわけで、そう思う人たちがそれをやればやるほど、それに対抗しようという人たちを押さえ込んで身動きできなくしてしまいますから、先人たちは野心を持った人たちをお互いに相手を押さえ込もうとして、そのようにちゃんと作り上げてあります。

つまり、人間というものはそのような悪魔のような性質があり、皆権力を握りたいし富を欲するし、そのような人たちを野心を競わせて押さえ込むのだとそのような哲学がきちんとあります。ですから効率が悪いわけです。非常に、そういうものです。しかしそれが21世紀のこの異様な情報世界の中でそれだけというのは、間違いなくそれだけ勝手に進んでいます。後もう何も追いかけることができません。人々を置いていけぼりにして、あの人たちだけが好き勝手にお祭りをやっています。ですから、そのような世界をどうしたらいいのでしょうか。

吉田:そうですね。緊急事態に陥った時に、権威主義体制の時はもうばっさり切れるという利点はありますね。

会田:ですからカール・シュミットのような人が、中国辺りではそれを根幹にしながら中国の思想と組み合わせて、まさにカール・シュミットの思想の根幹の1つはそのような緊急事態の中で大権を保持することですよね。その辺りというのはアメリカの憲法史の中で一番難しいところで、大統領の権限の問題で、もうずっとそれを巡って激しい戦いを繰り広げてきているわけです。

吉田:戦いがあるということは、均衡していてそのシステムが想定している、最初の目的は果たしていると思います。

会田:そうですね。本当になかなか大変な時に至っています。もう少し大きく根幹になる思想がどう動いているのか考えないと、その辺りを軸に議論をしていかないとと思っています。