私的所有が市場を破壊する: アンチコモンズの悲劇

ミシガン大学の教授だったマイケル・ヘラ-とアイゼンバーグ有名な論文で「知的財産権」がときに非生産的な役割を果たすことを指摘した。「コモンズの悲劇」は、漁場や山林のような共有地が過剰利用される問題だが、アンチコモンズは逆に共有地が過少利用される問題だ。

私的所有が市場を破壊する: アンチコモンズの悲劇

ミシガン大学の教授だったマイケル・ヘラ-とレベッカ・アイゼンベ ルクは"The Tragedy of the Anticommons"という有名な論文で「知的財産権」がときに非生産的な役割を果たすことを指摘した。1999年のことである。「コモンズの悲劇」(共有地の悲劇)というのは、漁場や山林のような共有地が過剰利用される問題だが、アンチコモンズ(反コモンズ)は逆に共有地が過少利用される問題だ。

コモンズの悲劇

ヘラーらが主張した「反コモンズの悲劇」を知るには、まず、その前段の「コモンズの悲劇」を知る必要があるだろう。

カリフォルニア大学の生物学者であったハーディン教授は、1968年にサイエンス誌において『コモンズの悲劇』という論文を発表した。彼は稀少な資源を共有とした場合の過大利用の問題を説明するために、共有の牧草地で羊飼達が羊を放牧する例を用いた。牧草地での飼育可能量は決まっているが、羊の合計が許容量以下であればどの羊飼いも何ら問題なく自分の羊を増やすことができる。ところが、羊飼い達は、牧草地の許容量を越えても羊を増やし続け、ついに牧草地は荒廃してしまう。なぜなら、それぞれの羊飼いにとって羊を一頭増やすことによる利益は彼ら自身が享受できるのに対し、羊一頭の増加による過放牧の損失は全ての羊飼いによって負担されるため、各々の羊飼いにとっては羊を増やすことが合理的だからである。

この「コモンズの悲劇」を防ぐ一つの方策は、牧草地を共有地とするのではなく、それぞれの羊飼いに私有地を与えて羊を飼育させることである。ここから私的財産権が稀少資源の有効利用を図る上で重要である例として「コモンズの悲劇」は言及されるようになった。

ただし、ハーディンは社会主義的な手法にも言及していた。彼は論文の後日、コモンズの悲劇を回避するためには社会主義と私有化の方法がある、と注釈している。社会主義を選べば全牧草地にわたり計画的な管理ができる。逆に牧草地を個人に分配してしまえば、個人はその私有地を大切に扱うと考えられる。

この論文は、その後、環境問題の研究者にしばしば引用されるものとなった。だが、90年代になってにわかに電気通信の分野で言及されるようになった。経済学者のエリ・ノームが「コモンネットワークの悲劇」と言い始めたからである。ノームは、80年代を通じて、独占的な電話ネットワーク(コモンネットワーク)は全国に「あまねく、等しい」サービスを目指すシステムを、新しい小規模なネットワークは新しい「付加価値サービス」を実装したシステムを指している。これをコモンズの悲劇に則して言えば、前者は牧草を計画的に管理する社会主義型のシステム、後者は牧草地のいち部を自分だけのために囲い込み、土地改良によって牧草の収量を増やす私有化型のシステム、ということになる。

コモンズの悲劇論は電話ネットワークよりもインターネットを巡って繰り返された。それはインター ネット・ユーザの増大曲線が『成長の限界』が示した地球人口の増大曲線に酷似していたからであっ た。現に90年代前半、インターネット上ではアナー キーな活動をするユーザによって,しばしば輻輳(ふくそう)現象が生じた。これはユーザの取り合いによってネットワーク資源が枯渇したためであると説明されていた。

インターネットに関するコモンズ論はこのところ下火になった。代わって現われたのが電波周波数を巡るコモンズ論である。同じ周波数の電波を使うメッセージは互いに相手と混信して意味不明のものとなる。つまり、電波周波数は排他的に利用しなければならない。このために電波周波数の使用については、現在多くの国では政府が、その割当を仕切っている。 この政府主導の周波数管理方式に、最近、疑義が生じてきた。それは従前どおり政府が管理すべきものなのか。それとも私有できる所有権の対象になるものなのか。この議論のなかで電波周波数はコモン ズに属するという意見が生じた。

反コモンズの悲劇

1998年,ヘラーは同僚のレベッカ・アイゼンベ ルクとともに雑誌『サイエンス』に『特許は 技術革新を妨げるか? 生物医学的研究における反コモンズ』(Can Patents Deter Innovation? The Anticommons in Biomedical Research)という論文を投稿した。アイゼンベルクはこの雑誌の常連の投稿者であり,DNA特許について先覚者的な論文を発表してきた研究者であった。 2人の主張は次のようなものであった。90年代になると、この分野で活動する企業は、上流プロセスの 発明に対して、特許を積極的に取得するようになった。その例に、断片化された権利、あるいはリーチ・ スルー権がある。

断片化された権利とは、例えばDNA断片に特許を取得することを指す。この種の特許が異なった出願者に乱発されると、それらを束ねて利用したい後続者は、権利処理に途方もない手間とコストを求められることになる。つまり、ここに反コモンズが現れることになる。

リーチ・スルー権とは、上流家庭の発明に対して得た特許の所有者が、そのライセンシーに対して、その発明から生じた下流過程の研究成果についても権利を保有する契約方式を指す。この契約方式は、複数の特許保有者の間に権利の絡み合いをもたらし、結果的に反コモンズの状況を作り出す。

ヘラ-とアイゼンバーグはバイオ分野の研究を例にとりながら、知識の私有化は、コモンズの悲劇を解決はしたが、「アンチコモンズの悲劇」という新たな悲劇を生み出したと指摘した。彼らはバイオ領域の研究の進展を私有化が阻害していることでこのアンチコモンズの悲劇を説明した。80年代以降、米国ではバイオ領域の基礎的な研究成果の私有化が進み、最終製品の開発をブロックしたり、ライセンス時のさまざまな条件により川下での利用に多大な負担を強いる。

基礎研究の権利は細切れで権利者は多数に及び当事者間の取引コストが高い上に、関係者間の異なる利害関係や権利の価値を巡る評価の相違等の要因が加わるため、複数の特許権者がそれぞれ特許をプールし、一元的に管理してその利用を図るといった従来の手法は有効に機能せず、結果的に資源の過少利用という「アンチコモンズの悲劇」が生じるのだ。

特許はイノベーションのインセンティブとして、その独占的な活用を認める点において有用だが、それがときに資源の過少利用を引き起こしてしまう。

コモンズの応用がふさわしいのは、補完財が優位を占めている市場である。補完財とは互いに補完しあうことで価値が増大するもののことを指す。補完財が優位を占めている市場では、鉄道であろうが特許であろうが、A、B、Cが合併した方が全体としての社会的厚生は高まる。

複数のバイオ技術を組み合わせることで画期的な創薬が可能になるときには、そのために必要な断片化した特許群を補完財と呼ぶことができるだろう。

あるいは、東急田園都市線もとてもいい例だろう。中央林間から渋谷を東急田園都市線、渋谷から押上までを東京メトロ半蔵門線、押上以降は東武スカイツリーライン・伊勢崎線・日光線に直通する。個々に私的所有権をもっているが、路線が一つになることで利用者の利益が最大化され、三者の利益も最大化するため、一定の条件でひとつとして機能している。

アンチコモンズの”喜劇”

テック業界では長らく技術の私有化の時代が続いたが、『伽藍とバザール』に代表されるオープンソース・ソフトウェア(OSS)が「アンチコモンズの”喜劇”」を決定的に印象づけており、OSSはまったく違和感のないカルチャーになった。もちろん今もGAFA、Microsoft、Intel、AMD等はパテントを積み上げている。スマートフォンの権利をめぐるAppleとサムスンの訴訟、GoogleとOracleのJava APIをめぐる訴訟がよく知られるように、ドッグイヤーのテック業界ではすでに技術的新規性を失った知的財産を巡る係争は続いており、やはりイノベーションの対価と活用のトレードオフがその主たるテーマではある。

ヘラ-とアイゼンバーグの論文の提出が1999年、ヘラ-の『グリッドロック経済――多すぎる所有権が市場をつぶす』の刊行は2010年であり、一連の著作はその後に盛り上がった興味深いムーブメントを織り込んでいない。シェアリングエコノミーだ。Uberに代表されるカーシェアリングはグロッドロックされている乗用車を解放し、乗用車の利用率を大幅に引き上げているし、Airbnbは都市の中の使われない部屋を解放し、利用率を引き上げている。乗用車が駐車場に眠り、部屋が使われないまま放置される状況はまさしく「アンチコモンズの悲劇」であり、一定の解決策を示したとも言えるかもしれない。近年はメルカリのような中古品マーケットプレイスの利便性が増し取引総額が拡大している。これも財の流動性を挙げており、効率的な資源配分を助けていると言えるだろう。

このような自由な財の活用はとても効率的である半面、社会的な摩擦や倫理的な課題を生み出しており、有休資源と買い手をマッチさせるマッチメイカーが、アンチコモンズが生みだす効率性の利益をもれなく吸い取ってしまう可能性があることには留意しないといけない。

参考文献

  1. Garrett Hardin. The Tragedy of the Commons. Science 13 Dec 1968:Vol. 162, Issue 3859, pp. 1243-1248.
  2. 名和小太郎. 「コモンズの悲劇, 反コモンズの悲劇」.
  3. Michael Heller. ”The Tragedy of the Anticommons: Property in the Transition from Marx to Markets”. 111 Harv. L. Rev. 621-688 (1998).  January 1998.
  4. Michael A. Heller, Rebecca S. Eisenberg. Can Patents Deter Innovation? The Anticommons in Biomedical Research. Science 01 May 1998:Vol. 280, Issue 5364, pp. 698-701.
  5. マイケルヘラー. グリッドロック経済――多すぎる所有権が市場をつぶす. 2010.

※画像はWikimedia ”commons”のものを利用しました。

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