公共圏を担う次世代メディアがない|佐々木俊尚|メディアの未来#1

デジタル化、スマホ化、そして近年のSNSをめぐる様々なトラブル。「メディア」は再び岐路に立たされている。そこでアクシオンでは「メディアの未来」と題し、編集長の吉田拓史が様々な識者にインタビューを行うことにした。第1回のインタビュイーはジャーナリストの佐々木俊尚。

公共圏を担う次世代メディアがない|佐々木俊尚|メディアの未来#1
佐々木俊尚。吉田拓史撮影。

デジタル化、スマホ化、そして近年のSNSをめぐる様々なトラブル。「メディア」は再び岐路に立たされている。そこでアクシオンでは「メディアの未来」と題し、編集長の吉田拓史が様々な識者にインタビューを行うことにした。

第1回のインタビュイーはジャーナリストの佐々木俊尚。新聞記者からフリージャーナリストに転身し、SNSを使い時代の波に乗ってきた佐々木に、これまで業界が辿ってきた経緯とメディアの現在地、そして未来について聞いた。

※本記事は敬称略。


フリーのジャーナリストの仕事はネット時代になって変わった、と佐々木は言う。

「僕は新聞社を辞めた後アスキーという出版社に2~3年いて、辞めてフリーになったのがちょうど2002年の終わりぐらい、今からジャスト20年前です。その頃はまだ雑誌がものすごく売れていました。雑誌のピークは1997~1998年ぐらいで、2002年ごろはそんなに衰えていませんでした」

元事件記者や、取材・ルポルタージュ系の人は、いわゆる週刊誌や月刊誌、論壇誌でルポを書いて、それなりに生計を立てることができた。例えば売れている週刊誌では、1ページの記事で原稿料が4〜5万円で、4ページほど書けば15〜20万円となり、1ヶ月の収入になったという。それが2008~2009年ぐらいの出版不況以降、崩壊し始めた。

「実際に2006~2007年ごろのピーク時で雑誌の連載が月に7本ぐらい持っていましたが、今は0です。あっという間に雑誌が消滅しました」

紙媒体からウェブメディアに移行しても、まったく生活が成り立たない。それまでは通常の月刊誌に単発の原稿を書くと、5万円から10万円程度の原稿料が与えられた。しかし、2010年にウェブメディアが登場すると、単発の原稿料は1万円、よくて2万円という時代になってしまった。

そこで佐々木は「何でも屋のアントレプレナー」となり試行錯誤を繰り返した。その中で大きなバックボーンになったのがSNSだったという。2011年2月に出版した『キュレーションの時代』では、要するに情報そのものを書けば読んでくれるという時代はもう終わった、と結論付けた。

「情報の海の中ではいかにして情報を拾い上げるかということが非常に難しくなってきていました。だったら、信頼できる情報のフィルタリングをしてくれる人、そういうキュレーター的な存在が重要になります」

2010年からTwitterで1日10本ぐらいの記事をコメント付きで毎朝紹介する習慣を今まで続けている。ありとあらゆる分野の情報が仕分けされるのが求められるようになり、コロナウイルス感染症やウクライナ侵攻に際しては、専門家をまとめたTwitterリストを作り、毎日モニターするようにしたという。「その中で、人によって違うことを言っている人もいるけれども、おおむね共有された認識が必ずあるよねと。その共有された認識に関しては信じましょう。例えば30人のうち5~6人ぐらいが同じ記事を評価していたりすると、これは信用できるかなというのでその記事を自分もシェアします」

佐々木は「2010年代のもう一個の大きな流れ」としてSNSの政治空間化を指摘する。「Twitterは2007年ぐらいからだんだん日本で普及し始めてきて、当初、『ランチなう』とかやっていた。日常のささやかなつぶやきをする場所のような感じだったのが2011年の多分福島の原発事故と、その後の第2次安倍政権成立ぐらいからものすごい勢いで政治化していったという」

「罵詈(ばり)雑言を投げ合うような場所になっていったということが起きていて、ある意味SNSが政治空間化していくということが起きたというのも一つの大きな流れで、それがエコーチェンバーをつくる一つの大きな要因にはなっている」

伝統メディアと新興メディア

佐々木は伝統メディアに悲観的だ。「朝日新聞は全盛期は800万ありましたけれども400万ぐらいです。毎日も僕がいた頃は450万部ぐらいだったけれども、今200万切るぐらいになってきています。だから、あと10年すると完全に消滅するのではないかと」。

「実際(新聞を)取っているのも70代80代が中心なので、未来はほぼないですよね。テレビは報道だけではなくバラエティーがあるから強い。ただ、その先にどういう代替報道機関が出てくるのかというと、何のビジョンもないという現実がある」

佐々木は2006~2007年ぐらいからずっとウェブのメディアが新しい報道のプラットフォームになるのを期待し続けて、佐々木はいろいろなメディアを応援してきた。「最初の頃だと日本に来た韓国のオーマイニュース。最初の2年ぐらい、僕は顧問をやっていた。その後ハフィントンポストを応援し、バズフィードを応援し、いろいろやっていますけれども、ことごとく成功していないですよね」。

いっとき携わった生活系メディアのTABILABOではネイティブアドで何とかならないかというのが一つのチャレンジだったという。「日本の市場規模を考えると、ディスプレイ公告だけでもうけるのは無理だった。結局ネイティブアドもクライアント側の意識があまりついてこないというか。結局そうは言ってもビューを求めるところがあって、ビューを求められると、やはりどうしてもしょうもない記事を量産しなければいけないという話になってしまって、結果的にあまりうまくいかない」。

「ここ3〜4年の流れというのは完全有料化です。有料化の問題はもう一個あって、当たり前ですけれども世論に対する影響力がどんどん落ちていく。専門性が高いメディアだったら別にそれでも構わない」

「ウェブメディアはある種雑誌的な、専門性の高いメディアが少数の読者を対象にして、少数というのはどのぐらいの規模かというのはメディアのビジネスによるが、そうやって生きていくというのは全然ありなのかなと。ただ、そういうところに横断して世論を形成していくという公共圏を担うメディアのようなものは、現状見通しがつかないという認識です」

個人としての戦略は?

Twitterを長い間やっていてすごく思うのは、極端な意見に引きずられないようにすることが一番大事だ、と佐々木は言う。「自分自身のツイートのアナリティクスを見ても分かりますが、10年前と比べるとインプレッションはそんなに減っていないけれどもリプライがすごく減っています。つまり反応しないで見ているだけの人が多くなっている」。

サイレント・マジョリティを大事にすることが佐々木の戦略だそうだ。「長い間見ていると本当によくありますけれども、最初は真っ当なことを言っていた人が過激なことを言ったらリツイートが増えたりするので、どんどん過激になって、よく分からない遠くのほうへ押し流されていくというケースがとてもたくさんあります。そうならないようにする。要するに言い換えれば、ネットで正気を保つことが自分の生存戦略です」


佐々木俊尚(ささき・としなお)1961年兵庫県生まれ。 毎日新聞社などを経て2003年に独立し、テクノロジから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで幅広く取材・執筆。 『21世紀の自由論〜優しいリアリズムの時代へ』『キュレーションの時代』など著書多数。 総務省情報通信白書アドバイザリーボード。


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インタビュー書き起こし

以下はインタビューの書き起こし。読みやすくするため編集を加えている。以下のやり取りはポッドキャストで聴ける。

吉田:佐々木さんは2月に本を出していらっしゃって、今はスマートフォン時代が来て、みんなアテンション、注意がスマホに奪われるようなことが非常に多いと思うのですが、それを踏まえて読む力を強くしようという内容だったと思います。佐々木さんのキャリアとしては、新聞社を経て、そこから今フリーまで来ていると思いますけれども、そのキャリアの中で多分SNSはすごく重要な役割だと思いますが、そのSNSは今後どうなるかというところから始めたいと思います。

佐々木:テーマが大きいので何から話せばいいか分からないですけれども、フリーのジャーナリストはそもそもどういう仕事なのかというのは、ネット時代になって変わってきているわけです。僕は新聞社を辞めた後アスキーという出版社に2~3年いて、辞めてフリーになったのがちょうど2002年の終わりぐらい、今からジャスト20年前です。その頃はまだ雑誌がものすごく売れていました。雑誌のピークは1997~1998年ぐらいで、2002年ごろはそんなに衰えていませんでした。

だから、周囲の同業者の様子を見ていても大体みんなパターンは同じで、特にこういう元事件記者や、そういう取材系、ルポ系の人は、週刊誌、月刊誌、論壇誌と言われるような、もうなくなった雑誌で言うと『論座』や『諸君』、文藝春秋、そういうところで例えばルポルタージュを書いたりして、それで十分食っていけるかなという。

ぶっちゃけた話をすると、原稿料が例えば売れている週刊誌だと、1ページ書いて4~5万円なので、4ページぐらい書くと15~20万ぐらいになって、それで何とか1カ月の収入ぐらいにはなるわけです。あとは何年かに1冊本を出す、もしくはよくあるパターンだけれどもゴーストライターを引き受けて、誰か経営者のために代わりに書いてあげる。そういうことをやると、サラリーマン並みの収入が得られるという時代だったわけです。

同時に人間関係が逆に狭いというか、業界が。編集部などを中心にした狭い世界の中で生きているような、それ以外の人や取材先以外会わないという感じだったわけです。その中に僕もいて、普通に地味に週刊誌や月刊誌に原稿を書いていました。僕らはテクノロジーもカバー範囲として大きかったので、それ以外のパソコン雑誌などにも原稿を書いていました。

それが崩壊し始めるのが2008~2009年ぐらいの出版不況と言われる、リーマンショックのあおりもあったのと、あとインターネットが台頭してきてSNSがちょうどそのぐらいからです。mixiなどが広まり、ウェブの媒体もどんどん増えて雑誌が売れなくなっていくと。休刊ラッシュで、すごい勢いで雑誌がつぶれ始めるわけです。実際に2006~2007年ごろのピーク時で雑誌の連載が月に7本ぐらい持っていましたが、今は0です。あっという間に雑誌が消滅しました。

2010年前後、リーマンショックからの5年ぐらいの間をどうやって生き延びるかというのが結構皆さん大きな課題になっていて、中にはひたすら酒を飲んで愚痴を言い続ける人もいたり、田舎に帰るような方もいました。ライター稼業を辞めて家を継ぎましたなど、市場が縮小していく中でいろいろもがき苦しむという状況が起きるわけです。

僕がやったのは、結局そうは言ってもテクノロジーが進化して新しい媒体が出てくるのだったら、そちらに付き合うしかないよねと。だからウェブメディアにお付き合いしつつ。ただ、ウェブメディアに移行しても全然飯は食えなくなります。なぜかというと原稿料が死ぬほど安い。それまで普通に月刊誌などで単発の原稿1本書けば、ものによるけれども5~10万の間ぐらいですかね。それが2010年ぐらいにウェブメディアが出てきたので、書いて1本1万円、よくて2万円など、その状況は今でもあまり変わらないです。

そうすると、全然サラリーマン並みの収入も得られなくなってくるということが起きて、そこから本当に試行錯誤で一種ジャーナリストという稼業よりは何でも屋のアントレプレナーのようなものです。だから有料のメルマガを他の人に先駆けて出したり、ありとあらゆることをやって生活をするという方向に進んできたわけです。その時に結局一番バックボーンになったのがSNSです。SNSで明確に覚えていますけれども、2011年の春というか2月ですね。

なぜ2月と覚えているかというと震災の前の月だったからですけれども、『キュレーションの時代』という本を出しました。キュレーションというのは、要するに情報そのものを書けば読んでくれるという時代はもう終わったと。ネットのなかった時代には媒体が少なかったので、例えば情報通信のテクノロジーの情報を拾おうと思うと、2000年ごろだと国内で出ているいわゆる通信系の雑誌、情報通信系の『日経コンピュータ』や『日刊工業新聞』など、5~10誌ぐらい取りあえず収集して読んでいればカバーできる感じだったのが、ネットになってすごい勢いで情報が増えていきます。

全くそういう雑誌を読んでいるだけでは情報に追いつかなくなってきていると。そうなると、情報の海の中ではいかにして情報を拾い上げるかということが非常に難しくなってきます。ただし、あらゆる分野の情報を玉石混交の中から玉を見極めるという能力はほとんど無理だよねと。だったら、信頼できる情報のフィルタリングをしてくれる人、そういうキュレーター的な存在ですね。美術館の企画展をやるような形で情報を独自の価値観で収集してくれる人、そういうキュレーター的な存在が重要になるよねという話を『キュレーションの時代』という本に書きました。

それを2010年の暮れぐらいにずっと書いていて、自分でも実際にこういう行為をやってみて実践しなければ駄目だなと思いました。ジャーナリズムって、それまでは第三者的な目線であくまで取材して書く。自分という主体はあまりないという感じでしたけれども、ネットの時代というのはそもそも自分が主体であることを前面に出さないと信頼されないのではないか。上から目線の神の視点で書く第三者ということがそもそもネット時代には存在し得ないのではないか。自分で実践しようと考えて2012年(訂正:2010年)の暮れぐらいからキュレーションをやっています。

Twitterで1日10本ぐらいの記事をコメント付きで毎朝紹介する。それはいまだずっと12年たった今でもほとんど休みなく毎日やっています。その結果、別に特段テレビに出ているわけでもなく、著名人でもなく、大ベストセラーを書いたわけでもない僕のような存在にフォロワーがどんどん増えて、今79万人います。

やはりそこの影響力、あるいは広告も含めてそれにひも付いたビジネスが非常に自分にとって強いバックボーンになって、ある意味インターネットの中では、テレビに出ているけれどもネットにいない人よりも、僕のほうが知名度が高いということが逆転的に起きるようになってきています。これが、仕事がやりやすくなって収入もある程度安定するということに寄与したのかなというのがこれまでの経緯という感じです。

吉田:非常に分かりやすく教えていただき、それで今に至ると思いますけれども、途中で話があったように、おそらくソーシャルメディアの中で情報の玉石混交がさらに難しい方向に来ているというのが多分この数年かと思います。トランプさんの選挙、ブレグジットもそうですし、最近だとコロナ関連の情報ですよね。その中で佐々木さんの見方や立ち位置に変化がありますか。

佐々木:ありとあらゆる分野の情報が仕分けされるのが求められるようになってきて、当初2010年代前半というのはテクノロジーやメディアの話しかシェアしていなかったけれども、だんだん政治や経済にも首を突っ込むようになって、それこそマクロ経済などは訳が分からないじゃないですか。ああいうところに首を突っ込むようになると勉強しなければいけなくなってすごく勉強するのですが、それでも追いつかない。結局どうなったかというと、これは自分自身の知識であらゆる情報を仕分けするのは無理だよねと。これは今年出した『読む力』という本にも書きましたけれども、専門家の集団の知のようなものにある程度頼るしかないというのが、ここ数年たどり着いた結論です。

例えばコロナに関して言うと、感染症専門医の人を中心に30人ぐらいTwitterでフォローしてプライベートなリストを作って、それを毎日見ます。そうするとその中で、人によって違うことを言っている人もいるけれども、おおむね共有された認識が必ずあるよねと。その共有された認識に関しては信じましょう。例えば30人のうち5~6人ぐらいが同じ記事を評価していたりすると、これは信用できるかなというのでその記事を自分もシェアします。

これがウクライナ侵攻でも全く同じで、ウクライナ侵攻は全然、外交に興味はあるけれどもあまり詳しくない、プロでも何でもない。どうやってウォッチするかと考えて、一つは慶應大学。日本は元々安全保障や軍事などはアカデミズムがやってはいけないという変な風潮があったけれども、慶應大学だけは安全保障の専門家がなぜかたくさんいます。細谷雄一さん、よくテレビに出ている鶴岡さん、東野篤子さん、みんな慶應ですけれども、あの人たちをフォローするのと、あともう一個は防衛庁のシンクタンクである防衛研究所。さすがに国のシンクタンクですから、そんなにおかしなことは書かないだろうということで防衛研究所の人をフォローします。

その2つを軸にして、そこからその人たちと同じような意見を持っている人たちや、その人たちと交流している人、お互いにリプライを飛ばしたり一緒にイベントをやっている人をだんだん増やしていって、そちらもやはり今30~40人ぐらいのTwitterのリストを作って、それは3月ぐらいの段階で公にパブリックで公開しました。

そうすると、そこでもコロナの医療クラスターと全く同じで、同じような認識の人がいて同じことをみんなが言っています。そこから外れた意見を言う人というのはやはりちょっと違うのかなと。名前を出すと怒られるので名前を出したらいけないのですが、例えば佐藤優さん。軍事安全保障専門家のクラスターからは外れていて、言っていることが全然違うという。結構佐藤さんを批判している人も多い。

どちらが正しいのか僕には分からないけれども、なるべく佐藤さんのご意見には近寄らないようにしようと頭の中で考えたり。佐藤さんは一応知り合いなので、あまり悪口は言えないのだけれども。専門家の知見に頼って専門家が言っていること、一人一人が言っていることだけではなくて、集団が言っている集団が共有している認識をある程度よりどころにするという方向にだんだん進んできているという感じがします。

吉田:従来型メディアでは、おそらく新聞記者やテレビ局の記者さんなどがある種神の視点で書いてきたということがあって、それはそれで多分間違っているということが指摘されることはあったと思います。多分メディア側にはそういう問題があったし。

佐々木:コロナが典型だったんですよね。コロナは3年ぐらいたちますけれども、当初から医療クラスター、感染症専門医の人たちから批判されている人ばかりをテレビに出すということが起きていました。結局それはテレビ局の側に人を選ぶ見識がないという。彼らは自分たちが正しい人を選んでいると思っているけれども、それが感染症専門医のクラスターの中で外れ値になっていることは認識していなかったわけですよね。

ちなみにウクライナ侵攻はそれが全く起きなくて、見事に軍事安全保障の専門家の集団の中で評価されている人だけがテレビに出ているという、全く逆のことが起きていました。理由はよく分からないけれども、ある人が指摘していたのは、ウクライナ侵攻が起きたのは2月で大学が休みだったから。

吉田:みんなに連絡していって。

佐々木:きちんと出られる人が出られたという。コロナは臨床医が忙しくてそんな暇がなかったので、しょうがないからというので探したら暇な先生が出てきて、それが変だったという話だったのではないかという指摘はあります。

吉田:そうですね。一点からみんなに渡すほうのマスメディアは多分そういう感じだったと思いますけれども、ソーシャルメディアというか、インターネット側の情報流通に関しては、つまり偽情報ですかね。プロパガンダとか、ロシア、北朝鮮など、そういう国をバックにしたトロールファームというグループがいますけれども、彼らが例えば日本を不安定化させたいということで反ワクチン的な情報発信を組織するところから始めたりするのですが、……

佐々木:実際はウクライナ侵攻でもどのぐらいロシア政府というか、ロシアプロパガンダに利用されているのかどうかまで分からないけれども、明らかにロシア寄りのおかしなことを言っている知識人がたくさん出てきましたよね。まるでゼレンスキーが戦争をしたがっているというようなことを言ったり、実際歴史学者の有志の会か何かが、ゼレンスキーが戦争にまい進しているような文言を入れて声明を出したりしているぐらいです。

プロパガンダでだまされているのか、勝手な思い込みなのか分からない、そこは判断し難いけれども、そういう現象が起きているのは間違いないのかなと。結局そういうのが出てきて、例えばウクライナ国民の男性は国外に出られないことを批判したり。ではロシアはどうなのだと思うけれども、そういうことは一切言わないでウクライナ側を延々と批判する人が出てきていると。

結局それは、何が専門知識なのかを見抜く力がないからというところに行き着くと思うのですが、テレビの人と同じ問題ですよね。それと同時に、日本の場合だと戦後民主主義のようなものがあって、ある時期まではそれは輝いていたけれども、さすがに70年たつとかなり形骸してしまっています。21世紀の新しいコモンセンスについていけなくなった人が山ほどいて、それが冷戦時代のある種の古い知識にしがみついているような構図もあったりして、そういう硬直化して古いものにしがみついている人たちがおかしな言論に飲み込まれていくという状況が起きているのは間違いないと思います。

吉田:そうですね。トランプさん、2016年の選挙の時は、向こうの検察などで調査が行われていて、(ロシアは)スパイを送り込んでFacebookグループをつくって、本当に草の根ぐらいから始めたりするんですね。多分そういう戦略的な作戦的な側面がある一方で、エコーチェンバーやフィルターバブルというように似たような意見が響いているような空間ですよね。つまりみんながクラスターでくっついているところで、そういう一つ誤った情報が入っても、みんなでそう言い合っていれば真実に聞こえるという、そういう側面もあったと思います。

佐々木:そうですよね。だから2010年代のもう一個の大きな流れとして起きたのは、例えばTwitterは分かりやすいですけれども、2007年ぐらいからだんだん日本で普及し始めてきて、当初、ランチなうとかやっていたじゃないですか。日常のささやかなつぶやきをする場所のような感じだったのが2011年の多分福島の原発事故と、その後の第2次安倍政権成立ぐらいからものすごい勢いで政治化していったという。罵詈(ばり)雑言を投げ合うような場所になっていったということが起きていて、ある意味SNSが政治空間化していくということが起きたというのも一つの大きな流れで、それが今おっしゃったエコーチェンバーをつくる一つの大きな要因にはなっていますよね。

フェイクニュースやプロパガンダの跋扈(ばっこ)と党派化していくネット空間のようなものがちょうど重なり合って、かなりやばい感じになってきているという認識です。ちなみにこれは全く根拠がないし、僕の単なる憶測ですけれども、2010年代になぜあのようにTwitterが政治空間化したかという説の一つに、2007年問題があるのではないかという話があります。

2007年問題は何かというと、2000年ごろ言われていたのですが、団塊の世代の人が大量退職が始まる年です。団塊の世代は1947年生まれですから。要するに、それで定年したおじさんたちがみんなネットに流れ込んできて政治空間化したというのは、最近の国葬反対の激しいやりとりを見ていると60年代70年代の学生運動再びというような人たちがたくさんいるので、その人たちがつくっている空気は大きいのではないかと。1学年200万人いますから人数が多いですしね。

吉田:なるほど。大きなクラスターで、ビジネス側から見てもつまり狙うべきところになってくるので、彼らのツイートがアルゴリズム上拡散するという可能性は無きにしも。

佐々木:あの世代は右にも左にもいます。右のほうにいる人は反韓反中という、しょうもない本をたくさん買っていて、こちらの人は国会前デモなどに盛んに行くという。だから、どちらに行っても白髪頭の人しかいないというのはよく言われていました。

吉田:そういう世代なのですね。なるほど、分かりました。最近はTwitterの買収ですよね。イーロン・マスクが手を出して、フェイクアカウントが多いからほっぽり出した。Facebookも内部告発があって、つまりフェイクが拡散するようなアルゴリズムのほうがもうかるという内部告発が出て、名前をMetaに切り替えたというところが来たと。

佐々木:あの問題はすごく難しいと思っていて、結局Twitterはトランプを追放したわけですよね。この前後に。それに対してイーロン・マスクは異を唱えていて、要するにTwitterというのは中立の場であって、党派制でキャンセルするべきではないという。それは確かに一つの見識だと思います。

実際Facebookも4~5年前に、あそこはどういう記事がタイムラインに乗るかというアルゴリズムでコントロールしているじゃないですか。実際にはアルゴリズムだけではなくてFacebookの社員、人間の手が介在していて、その際にニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストのようなリベラルな新聞記事を優先的に出して、フォックスなどは出さないようにしていたというのがばれて、保守派からすごく非難を受けたようなことがありました。

とはいえ、トランプがフェイクニュースを流している時にそれを押しとどめないで流したままにしていいのかという、どちらが公正なのか。ここは境目が分からない難しい問題だと思います。トランプはフェイクだからけしからん、そのようなものはキャンセルするのが当然だというのが最近のwokeな人たちの考え方ですけれども、必ずしもそう言い切っていいのかという問題があるわけです。

例えば同じファクトであっても、正しいか間違っているか明確ではない、つまりフェイクかどうか分からない情報がすごく多いですよね。その例でいつもケースとして出すのは、日本の福島原発の福島県の子どもに甲状腺がんが増えているという話です。甲状腺がんが増えている、子どもたちにというのはファクトですよね。でも実はその背景には、これはお医者さんたちがみんな指摘していますけれども、過剰診断であると。

要するに診断しなければ発症しないで済むようなもの、甲状腺がん、それを無理やり診断して手術しているのは過剰診断で、やってはいけないことだと盛んに言っているのですが、一方で、いや、そう言いながら甲状腺がんは増えているではないかと言うことはできるわけです。どちらも別にフェイクニュースとは言いにくい。

そういうイデオロギーや立つ視点によって、正しいか間違っているかという見方そのものも変わってくる情報というのが結構世の中にたくさんあります。そういうものをじゃあ甲状腺がんが増えているということを言ったら、それをフェイクニュースとして断罪していいのかというと、必ずしもそうは言えないわけです。グレーのところが多くて難しいと思います。

吉田:そうですね。甲状腺がんの話で言うと多分因果推論というやり方があるのですが、つまりAということがきっかけでBが起こったということを証明するのは非常に難しいです。薬の治験でよくやるような手法を多分すごく綿密にやっても分からない話なので。

佐々木:他の県でやっても同じように甲状腺がんが発見されたというのは結構分かっています。だから、発症率は変わらないのだから原発のせいではないという指摘もあったりして、でも専門家ではないのでそれ以上言ってもしょうがないですけれども。

吉田:そうですね。難しい問題です。トランプのアカウントバンは2021年1月の議会襲撃ですね。それでTwitter、YouTube、Facebookを使って扇動したと。最近の公聴会だと、一緒に練り歩いて議事堂のセキュリティの人にセキュリテを緩めてと要求したという、そういう行動を取っていた部分があって、そこでバンになったんですよね。リベラルか、右か左かの話とは別に刑法に違反しているかいないかという、そこなのかな。

佐々木:そうそう、司法が判断していないことを民間がそこまで判断していいのかと。要するにSNSというのはもちろん民間企業が運営しているものだけれども、一方で極めてパブリックなものになっているわけですよね。メディア、テレビや新聞と同じぐらい。そうすると、それがある意味私刑になるわけじゃないですか。私の刑にね。それを司法を経由しないでやっていいのかどうか。例えば新聞だって、起訴する前に実名を報道していいのかどうかの議論が常にあるわけです。社会的制裁になるので、それはというね。それと同じような問題を抱えているのではないかと思います。

吉田:おっしゃるとおりです。現状の多分法制だとプラットフォームが判断せざるを得ない感じになっていますよね。

佐々木:なっているけれども、なっているのはいかんとイーロン・マスクは言っているわけです。

吉田:そうですね。

佐々木:どちらが正しいのか、イーロン・マスクが正しいのか、現状のTwitter運営が正しいのかというのは明確に判断できる話ではないかなと。そこをあまりにもきちんと議論をしないで突っ走っている感じがちょっと怖いかなというのはあります。これはアメリカのキャンセルカルチャーの問題に行き着くわけです。

吉田:キャンセルカルチャー。

佐々木:キャンセルカルチャー。例えば保守系の言論人や大学の教授の座を追われるようなことが頻繁に起きたりして、スティーブン・ピンカーなどはそうですよね。そういうことが頻繁に起きて、日本でも結構それを輸入しようとしている人たちがたくさんいるわけです。

ちょっと前に日文研の呉座勇一さん、『応仁の乱』というベストセラーを書いた先生がいて、今助教か何かですが、准教授に昇格して終身雇用になるはずだったのがキャンセルカルチャーされて座を追われるということが起きたりしています。それは確かにTwitter上でどこかのフェミニズムの研究者を批判して揶揄(やゆ)したことが原因なのですが、それは終身雇用の座を追われるほどの話だったのかというのはやはりすごい議論になるわけです。

キャンセルしてしまったことによって、そもそも議論さえできなくなってしまう。議論する必要はないのかどうかというね。キャンセルしないということで座を追わないで議論を続けることのほうが民主主義としては大事だと僕は思いますけれども、そこをすっ飛ばしてとにかくキャンセルすればいいのだという風潮になってしまっているのは、今の日本、アメリカのリベラルはかなり危険な水準に来ているかなという感じがします。

吉田:なるほど、分かりました。NFTや仮想通貨が最近また非常に盛り上がって、今ちょっと低調かもしれませんが、どういうふうに見ていますか。

佐々木:ちょうど11月に角川からそういう本を出すのですが、『Web3とメタバースは人間を自由にするか』というタイトルです。現状は、しょせん単なる山師の投機です。そんなにしょうもないチープなデジタル絵画が何百万円で売られているのは当たり前に考えるとおかしいだけの話ですよね。ビットコインでもうけたりね。ただ、Web3に関して言うと、可能性として非常に大きいと思っているのは、僕はトークンエコノミーと言われるNFTのような、誰もが自分の株式のようなものを発行して、それを誰もが買えるという、ある種株式会社の原初形態のようなもの。あれは別にお金もうけの材料というよりも人が人に関わる、参加する、承認される、そういう意味で言うと結構意味があるのではないか。

例えば分かりやすい例で言うと、アイドルタレントでまだ全然有名ではない地下アイドルのような女の子がいて、その彼女が自分のトークンなりNFTなりを発行しますと。それを1,000円で100枚売りました。10万円になって、その10万円を活動資金にしましょうと。

NFTを買った側のほうは、ファンですよね。そのトークンを持ち続けていれば、ひょっとしたら有名になったら値上がりするかもしれない。その時に売れば、例えば1,000円で買ったのが10万円になって9万9,000円もうかるということも起きるかもしれないけれども、一方で持ち続けることによって、自分は昔から彼女のファンだったという、初期の地下アイドル時代のNFTか何かを持っていたら、昔からそのNFTを持っていたのですかと言われるような。

そうすると、自分が彼女を応援していることによって、彼女の側も承認を受けるのと同時に自分の側も、ファンの側も、私はこのアイドルは昔から、ある種社会に対する参加意識というか、自分自身も承認を受けるという、お互い承認を受けられるというような新しい関係性をつくり得るのではないか。

そこは多分今までの単なるお金の投資でしかない株式会社ではあり得ない、できなかった構図が生まれ得るかもしれない。新しい贈与経済の進化したテクノロジーの形態のような、そういうことができるようになれば面白いのではないかと。そういう現行の資本主義や貨幣経済を否定するのではなくて、その上に乗っかる感じの新しい承認の仕組みのようなものをつくるというところにNFTは可能性があるのではないか。

実際にそういう取り組みをやっている所があって、新潟の中越地震の時に被災して有名になった山古志村という所があります。今は長岡市の一地域です。山古志村の村の有志がNFTを発行しました。ニシキゴイの産地なので、ニシキゴイのデジタル絵画のようなものを買うと山古志村のデジタル村民になれます。山古志がプロジェクトをやったりする時に、それに対して例えば発言権があったり、議決権を持つことができます。つまりNFTのやりとりを単にお金もうけにするのではなくて、NFTをある種関わりあったり、参加したりすることの印というか、象徴として使うということを山古志のNFTはやっていて、まさにこれは考えるWeb3の方向性なのではないかという感じがします。

吉田:Web3ですけれども、多分テクニカルに見ている人と、佐々木さんのようにそれが社会にどう影響するかというところを見ている人の間に多分齟齬(そご)がある印象があって、今佐々木さんがおっしゃったような内容というのは非常に素晴らしいと思います。現行の資本主義というのは強い人に有利で、弱い人に不利に働いたりするので、それに別の貨幣が加わって新しい経済ができるというのは面白い話です。ただ、ブロックチェーンでやるべきかというところが問題で。

佐々木:まあね。だから現状のブロックチェーンだとスピードが遅すぎるという問題があったり、採掘するのに電力を使い過ぎという。イーサリアムなどがプルーフオブ……

吉田:ワークをやめてステークス。

佐々木:プルーフオブステークに変えるということをやりましたよね。ああいう方向にだんだんニュースとして進化していくのかな。さらに言うと、そういう取引の台帳ですよね。ブロックチェーン。取引の台帳そのものをセルフコントロールできるようになるというのは結構大きいのではないか。Facebookなどで自分の過去の行動履歴や写真を全て保存されていると。現状、それを他のところに移すことができないわけでしょう? ブロックチェーン的な考え方であれば、どこのプラットフォーム間でも情報を移動できるようになるという可能性は持っているわけですよね。

吉田:そうですね。厳密に言うと、別にプラットフォームを見直しているのではなくて、プラットフォーム運営者のウォレットという、トークンや暗号通貨を受け取るものの間を介在して、ここからここに動いたらソフトウエアに対してリクエストを出して、ソフトウエアが来ましたということにしています。

佐々木:だから、アプリケーションと保存されている場所を変えるということだと思います。

吉田:そうですね。ボラティリティがすごく激しいとか、イーサリアムはそうでもないですけれども、大口の人がいて、その人が価格に影響を及ぼしたりするという。

佐々木:結局それは投機しているから動きになっているだけではないですかね。投機じゃなければいいわけです。要するに長期ホールドを中心にしてトークンエコノミーを確立するということをすると、お金もうけのためにやらないという方向に行かざるを得ないのではないかというね。みんな投資だと思っているからやっているわけでしょう? ビットコインとか。

吉田:そうですね。

佐々木:僕が言っているのは、それは違うという話です。それは、でも個人の考え方の問題なので。

吉田:そうですね。いや、……

佐々木:お金もうけをやりたい人にとっては、そんなの、そうじゃなくて、今の状況をどうやって変えるのだと。お金をもっともうかるようにできないのかという話になると思うけれども、僕はそういうのは必要ないと思っているので、それだけのことです。

吉田:なるほど、そうですね。佐々木さんと同じような考え方をしている人はかなりたくさんいると思います。私が個人的にお伝えしたいのは、例えばテレビゲームなどで使っているような通常のデータベースだともっとコストが安いし、イーサリアムに絡もうとすると仲介業者がいて、その人たちがこっそり取っていくので、多分……

佐々木:それを現行のブロックチェーンに必要があるのかどうかと言われると、そこはよく分からないです。ただ、Web3は必ずしもイコールブロックチェーンではないので、だからプラットフォームが支配するモデルがWeb2だったわけです。Web2.0だったわけじゃないですか。Web1.0というのは分散化した世界だったわけです。

それまでのネットがなかった時代というのは全てが垂直統合であったと。垂直統合であったものをどんどん分散化していったのがWeb1.0の90年代だったわけです。その分散化していったものをもう一回プラットフォームに統合して水平分離して、例えば新聞だったら、新聞社が全ての取材から新聞の発行までを垂直統合している。テレビ局だったら、番組の制作から電波で流すまで全て垂直統合をしていると。

それをもうちょっと水平分離していくというのが当初のWeb2.0のプラットフォームの発想だったわけです。Web2.0が始まった2006~2007年ごろまでは、それを批判する人は誰もいませんでした。逆に言うと、垂直統合を解かれて水平分離して民主的じゃないかと、今までのようなテレビ・新聞の支配がなくなるよねという好意的な見方でした。

これが2010年代後半ぐらいになるとどんどん変わってきて、多分一番大きかったのはAIの進化です。今のような機械学習の枠組みが出てきて、すごい勢いで情報がコントローラブルになっていったというか。だから、完全に水平分離してプラットフォーム上で情報が自由に動く仕組みではなくて、情報の動き方そのものをAIで制御するという今のプラットフォームの考え方ですよね。

例えばSpotifyは、どういう音楽をこの人に流すかということはAIが分析してやっています。Facebookもエッジランクでどういう情報をタイムラインに流すかということを個人にパーソナライズしているわけです。全部AIが計算しているわけでしょう。そうすると、そこで初めて自由な水平分離のWeb2.0だったはずなのが、プラットフォームを運営しているビッグテックが全てAIでコントロールしているじゃないかという話になり、これが今の監視資本主義の批判につながっているわけです。

Web3というのは単にブロックチェーンがWeb3だと言ってしまうとつまらない話になってしまう。そうではなくて、Web2.0におけるプラットフォーム支配のようなものをどうやって民主的に変えていくかということを考えなければいけないよねというのが、本来求められているWeb3の考えだと僕は認識しています。だから、ブロックチェーンかどうかというのはもちろん重要な話だけれども、全ての本質ではないと思っています。

吉田:佐々木さんがソーシャルメディアを始めた頃というのはある意味牧歌的で楽しい時代だった。でも、それがビッグテックのデータセンターに集約されてきている形ですよね。インターネットを見た時に、こうやってスマートフォンをたたいて、すぐデータが飛んでくるのは、彼らがつくっている恐ろしいまでの品質の高いデータセンターがあるからだと。さらにエッジに細かい、もっと小さいレベルのデータセンターがあったりするというところで、インターネット全部のかなりの部分を彼らが供給しているし、そこに関連するルールの策定に対して強い力を持っているということもある意味間違いない。少し言い過ぎな部分はあるけれども、その側面はあると思います。その意味では、私もWeb3には賛同しているし、今自分がやっているビジネスもそうなのかなと思いますが、少なくともブロックチェーンはまず外して考えたほうがいいというのはあります。

佐々木:ブロックチェーンがずっと必要なものなのかどうかというのはまた別の議論ですよね。先ほども何度も言いましたけれども、ブロックチェーンイコールWeb3とは僕は捉えていません。要するにWeb2.0の限界をどう突破するかというところから出発するのがWeb3ではないかというのが個人的な持論です。

吉田:佐々木さんの考えとは別に経産省など、そういうレベルの話だと思いますけれども、これまでのビッグテックの支配を簡単に覆せる奥の手というか、打ち出の小づちのように見ている人は多かったと思います。

佐々木:この前ニッポン放送のラジオ番組で、自民党のWeb3のチームのリーダーをやっている平将明さん、あの人と話したら意外に、僕が今言ったような同じようなことを考えていました。だから、そこまで軽々しくWeb3のブームに乗っかってNFTだと騒いでいる感じではないかなと。個人的にはもうちょっとその先を見ている感じがしました。

吉田:伝統メディアは今後どうなっていくか。メディアビジネスがどう変化するか。

佐々木:これは誰にも分からないですよね。新聞は間違いなくつぶれるでしょうね。現状、例えば朝日新聞で言うと年間30万部ずつ減っているのかな。今300万か400万部ぐらいしかないですから。

吉田:そうですか。公称よりもめちゃくちゃ少ない。

佐々木:決算の資料から400万部ぐらいだと出ていました。

吉田:そうですか。

佐々木:全盛期は800万ありましたけれども400万ぐらいです。毎日も僕がいた頃は450万部ぐらいだったけれども、今200万切るぐらいになってきています。だから、あと10年すると完全に消滅するのではないかと。実際取っているのも70代80代が中心なので、未来はほぼないですよね。テレビは報道だけではなくて持っているので、バラエティーなど、強いですよね。ただ、その先にどういう代替報道機関が出てくるのかというと、何のビジョンもないという現実。

結局この10年ぐらいというか、2000年代、Web2.0というようになって2006~2007年ぐらいからずっとウェブのメディアが新しい報道のプラットフォームになるのを期待し続けて、いろいろなメディアを応援してきました。最初の頃だと日本に来た韓国のオーマイニュース。最初の2年ぐらい、僕はあそこの顧問をやっていました。その後ハフィントンポストを応援し、バズフィードを応援し、いろいろやっていますけれども、ことごとく成功していないですよね。

いっとき生活系のメディアでTABILABOというのをやっていたこともあって、今でもメディア自体はありますけれども、そこがネイティブアドで何とかならないかというのが一つのチャレンジでした。要するに日本の市場規模を考えると、いいかげんディスプレイ公告だけで、アドテクでもうけるのはちょっと無理だよねと。英語圏のように10億ぐらいの人が読む市場規模だったらディスプレイアドも成立するのかもしれないけれども、日本はその規模が成立するには人口が少な過ぎるということを考えて、ネイティブアドを実はやっていました。

いっときうまくいっていたけれども、結局ネイティブアドもクライアント側の意識があまりついてこないというか。結局そうは言ってもビューを求めるところがあって、ビューを求められると、やはりどうしてもしょうもない記事を量産しなければいけないという話になってしまって、結果的にあまりうまくいかない。

最近ここ3~4年の流れというのは、もちろんそうであるように完全有料化です。有料化の問題はもう一個あって、当たり前ですけれども世論に対する影響力がどんどん落ちていく。専門性が高いメディアだったら別にそれでも構わないと思います。それは読んでくれる専門家の人たちが、例えば金融系のメディアだったら金融市場に関心のある専門性の高い人が専門家のメディアを読む、それは読者とメディアがウィンウィンなので全然問題ないと思います。

では、専門性の高いメディアではなくて、それこそ朝日新聞のような多くの人が読んで、そこで起きる議題設定機能、何が今社会の問題なのかということを、例えば朝日新聞一面にトップに書くということをやると、これは今社会の大変な問題だということを認識するというのが昔はあったわけです。今ウェブになると何が一面トップなのか分からないから、その機能はなくなりつつあります。

さらに何が問題かということを提起して世論調査などをやって、こういうふうに考えて、だから政治が何とかしなさいというように政治と橋渡しをするというのがメディアとして大きな機能だと思いますが、そこは有料化してしまうと中身が見えないわけですから、そもそも成立しなくなってきます。

朝日新聞も読売新聞も毎日新聞もみんな有料化して、月1,000円2,000円取るというと、全紙を取る人は到底いなくなるわけで、どんどんさらに島宇宙化というか、エコーチェンバーが進むだけということになって、そういうのを横断的にここに世論があるということが可視化される状況がもはやなくなってきています。残っているのはNHKぐらいですよね。

という形なので、ウェブメディアはある種雑誌的な、専門性の高いメディアが少数の読者を対象にして、少数というのはどのぐらいの規模かというのはメディアのビジネスによると思いますけれども、そうやって生きていくというのは全然ありなのかなと。ただ、そういうところに横断して世論を形成していくという公共圏を担うメディアのようなものは、現状見通しがつかないという認識です。

吉田:なるほど、そうですね。最初のほうでおっしゃっていた戦後民主主義のようなものを成り立たせていたというのは、多分新聞やマスメディアの中である種の公共圏というか、ある種の疑似的な政治空間があったと。かなりある意味乱暴に幾つかの意見を集約して戦わせていたという側面もあると思いますけれども、それが近年インターネットで選び放題で拡散していった時にということがありますよね。

佐々木:そうですね。加えて新聞自体も読者がどんどん減っていってしまうことで、数少ない減っていく読者をつなぎとめるためにだんだんイデオロギー化していくということが起きます。

吉田:逆に。

佐々木:例えば僕が新聞記者だった頃、東京新聞というのはイデオロギー臭の全くない東京の小粋な新聞でした。それが、今あのような極端な左派になっています。朝日も毎日もすごく左派寄りになっていて、逆に産経はどんどん右寄り化しています。だから中央がどんどんなくなっていくということが起きていて、それがますます公共圏の担い手としての役割を失いつつある一つの要因になっている感じがします。

吉田:ソーシャルネットワークなどは極端な意見が勝ちやすいという研究があると思います。

佐々木:ありますね。

吉田:おそらくかなりそこが影響している側面はあるのかなと。

佐々木:新聞社の人はネットメディアリテラシーが極めて低い。ソーシャルメディアリテラシーというか。だからTwitterなどですごく反応されると、それが世論だと思い込んでしまっているという節はあるかなと。実際に言っているのは極端な人だけなのだけれども。

吉田:そうですね。極端な人はすごく見てコメントを残したりして、とてもアクティブで1人で100人分ぐらい。

佐々木:そうですね。だから、すごくリツイートされたりするじゃないですか。実態は少数だというのが現実にあるわけで、それはよく慶應大学の田中辰雄さんなどが指摘していますよね。

吉田:なるほど、分かりました。最後の質問です。この時代の中で佐々木さんの生きていく戦略、将来の戦略はどうですか。

佐々木:それはなかなか難しい質問ですね。基本、大きいメディアへの期待というのはほぼ難しくなってきているので、そこにはあまりコミットしないというスタンスです。素晴らしいメディが出てきて、それにお手伝いしようと一時思っていましたけれども、それはちょっと無理かなと諦めました。

僕自身の仕事というのはテクノロジーの進化と、あるいはそれと近代の終焉(しゅうえん)ですよね。20世紀型社会の終焉で、社会がどう変わっていくのかというところのその変わり目をずっと見ていくのをライフワークにしているので、そこを粛々とやって、それを本にしたりしゃべったりして、それを読んでくれる人が読んでくれればそれでいいかなと、そのぐらいです。そんなに大それたことは考えていないです。

吉田:大きなメディアが出てきてというようなシナリオはあまりない。

佐々木:ちょっと無理かなという感じになってきています。ただ、先ほども話したように、この状況は日本の公共圏、民主主義の公共圏に対してどういう影響を与えるのかをちょっと測りかねているところがあって、新聞が消滅した以降など。そこは非常に気になるところだけれども、自分の力ではどうにもならないわけです。見ているしかないという感じがします。

あともう一個は、先ほど極端な意見が多いというようなことですか。Twitterを長い間やっていてすごく思うのは、極端な意見に引きずられないようにすることが一番大事であるということです。ほとんどの人はただ見ているだけです。特にTwitterって最近よく言われますけれども、自分自身のツイートのアナリティクスを見ても分かりますが、10年前と比べるとインプレッションはそんなに減っていないけれどもリプライがすごく減っています。つまり反応しないで見ているだけの人が多くなっています。

実際20代ぐらいの若者のアンケート調査の記事などを読むと、Twitterをニュースソースとして見ている人が多い。日々の朝のテレビをつけてニュースが流れるようにTwitterを見てニュースをチェックするというような。だからTwitterというのはある意味情報の流通、ニュースの流通のプラットフォームとしてやはりすごく有効です。ただし、そこであまり反応しない。反応している人はどちらかというと極端な人ばかり。

だから、そこで反応していないけれどもきちんと読んでいるたくさんのオーディエンスがいるということを気にして、そちらのほうを見る。言い換えればサイレントマジョリティーですよね。そこを気にしていくということが大事なのかなと最近思います。それをやらないと、だんだん極端に振れていきます。

長い間見ていると本当によくありますけれども、最初は真っ当なことを言っていた人が過激なことを言ったらリツイートが増えたりするので、どんどん過激になって、よく分からない遠くのほうへ押し流されていくというケースがとてもたくさんあります。そうならないようにする。要するに言い換えれば、ネットで正気を保つことが自分の生存戦略です。

吉田:なるほど。10年以上やっていて正気を保っているというのはすごいことですね。

佐々木:そうです。

吉田:本当にそう思います。

佐々木:正気じゃない人が多いと思います。

吉田:こんなに変わらない方はいないなということで素晴らしいと思います。きょうはどうもありがとうございました。

佐々木:ありがとうございます。

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OpenAI、法人向け拡大を企図 日本支社開設を発表

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OpenAIは東京オフィスで、日本での採用、法人セールス、カスタマーサポートなどを順次開始する予定。日本企業向けに最適化されたGPT-4カスタムモデルの提供を見込む。日本での拠点設立は、政官の積極的な姿勢や法体系が寄与した可能性がある。OpenAIは法人顧客の獲得に注力しており、世界各地で大手企業向けにイベントを開催するなど営業活動を強化。

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新たなスエズ危機に直面する米海軍[英エコノミスト]

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世界が繁栄するためには、船が港に到着しなければならない。マラッカ海峡やパナマ運河のような狭い航路を通過するとき、船舶は最も脆弱になる。そのため、スエズ運河への唯一の南側航路である紅海で最近急増している船舶への攻撃は、世界貿易にとって重大な脅威となっている。イランに支援されたイエメンの過激派フーシ派は、表向きはパレスチナ人を支援するために、35カ国以上につながる船舶に向けて100機以上の無人機やミサイルを発射した。彼らのキャンペーンは、黒海から南シナ海まですでに危険にさらされている航行の自由の原則に対する冒涜である。アメリカとその同盟国は、中東での紛争をエスカレートさせることなく、この問題にしっかりと対処しなければならない。 世界のコンテナ輸送量の20%、海上貿易の10%、海上ガスと石油の8~10%が紅海とスエズルートを通過している。数週間の騒乱の後、世界の5大コンテナ船会社のうち4社が紅海とスエズ航路の航海を停止し、BPは石油の出荷を一時停止した。十分な供給があるため、エネルギー価格への影響は軽微である。しかし、コンテナ会社の株価は、投資家が輸送能力の縮小を予想している

By エコノミスト(英国)