ヘルスケアはコンシューマテックに変貌する
煩雑でコストが高く、規制の厳しい医療システムは、しばしば利潤追求のための中間業者に支配されているが、患者と治療を一直線につなぐデジタル企業の台頭によって、ヘルスケアはコンシューマテックへと変身を始めている。
要点
煩雑でコストが高く、規制の厳しい医療システムは、しばしば利潤追求のための中間業者に支配されているが、患者と治療を一直線につなぐデジタル企業の台頭によって、ヘルスケアはコンシューマテックへと変身を始めている。
ゲノム解析や人工知能(AI)などの科学的進歩は、新しい治療のあり方を可能にする。電子薬局が処方箋を発行し、ウェアラブルデバイスが着用者の健康状態をリアルタイムでモニターし、遠隔医療プラットフォームが患者と医師をつなぎ、在宅検査が自己診断を可能にする。
競争に勝利した際の報酬は巨大なものだ。米国の医療費はGDPの18%を占め、年間36億ドルに相当する。他の豊かな国では、その割合は10%程度と低いが、人口の高齢化に伴い増加している。パンデミックの影響で、人々はデジタル化された医療を含むオンラインサービスに慣れ親しんでいる。
ベンチャーキャピタルは、この分野が他に類を見ないほどディスラプションの機が熟していると判断している。データを提供するCB Insightsは、デジタルヘルス関連の新興企業への投資額が2021年にほぼ倍増し、570億ドルに達すると推定している。企業価値10億ドル以上の未上場ヘルスケア新興企業は現在90社で、5年前の4倍となっている。このような「ユニコーン」は、既存のヘルスケア企業や大手テクノロジー企業と競合して、人々をより良くし、そもそも病気にならないようにすること(予防医療)を目指している。その過程で、患者を「コンシューマ」(消費者)に変えようとしている。
コンシューマーヘルスケアといえば、大手製薬会社が販売する市販の鎮痛剤や咳止めシロップ、フェイスクリーム、バンドエイドなどを指すものだった。しかし、消費者向け部門が足かせになっているという認識のもと、世界で最も価値のある製薬会社であるジョンソン・エンド・ジョンソンと、英国の巨大なライバルであるグラクソ・スミスクラインは、これらの部門を分離しようとしている。利益率の高い処方薬部門からの相互補助がなくなれば、切り捨てられた消費者向け事業も改善され、より独創的なものになるだろうという期待が込められている。
デバイスとデータから囲い込もうとするビッグテック
コンシューマーヘルスに新たな野望を抱く企業の第2のグループは、ビッグテックだ。2011年に廃止されたGoogleの個人健康データ用プラットフォームのように、健康ビジネスに足を踏み入れようとする試みは何度も失敗してきたが、テクノロジーの巨人たちはようやく自分たちの足元を固めつつある。CB Insightsによると、アルファベット、アマゾン、アップル、メタ(フェイスブックの新親会社)、マイクロソフトは、昨年、健康関連の取引に合計で約36億ドルを投じた。これらの企業は、デバイスとデータという2つの分野で特に活発に活動している。
コンサルティング会社のデロイトは、2022年には3億2,000万個の消費者向け医療用ウェアラブルが世界で出荷されると予測している(図3参照)。2020年、アマゾンは100ドルのバンド「Halo」を発表した。昨年、グーグルは21億ドルでフィットネストラッカーを製造するFitbitを買収した。最新のApple Watchには、すでに心電図機能が搭載されていが、iPhoneメーカーは、女性の排卵記録に役立つ血液酸素センサーや体温計を搭載する予定だ。アップルのライバルである韓国のサムスンの最新スマートウォッチには、心電図と血圧計が搭載されている。
テクノロジーの巨人たちは、クラウドベースのデータ収集サービスに健康関連のサービスを導入している。そのために、マイクロソフトは昨年、200億ドルを投じてAI企業であるNuanceを買収した。電子政府のクラウド部門であるAmazon Web Servicesも、ヘルスケア関連のサービスを開始している。ビジネスソフトウェアのクラウド化が進んでいるオラクルは、医療IT企業であるCernerを280億ドルで買収することを決定している。
また、新進気鋭の企業もあり、製品やサービスの複雑さはまちまちだ。中にはシンプルなオンライン薬局もある。デジタルヘルス企業Truepillは創業6年目の米国企業で、16億ドルの評価を受けているが、現在は1日に2万件の処方箋を発行し、消費者向けのさまざまな健康ブランドのラストマイル・ロジスティクスを行っている。米大手電子薬局であるHims & Hers Healthは、特別目的買収会社(SPAC)との逆合併により、1年前に株式を公開した。
避妊ピルを提供するNurxは2019年4月に20万人と発表して以来、ユーザー数を公表していないが、アマゾンとの提携により、すでに想像以上に多くの家庭に導入されているという。インドのオンライン薬局であるPharmEasyは、昨年、5億ドルの資金を調達した。
コロナウイルス感染症によって診療所のキャパシティが圧迫され、患者が感染を恐れて直接来院しなくなったため、より幅広い医療サービスを提供する遠隔医療企業が成長した。中国のWeDoctorは、「インターネット病院」と呼ばれる非上場企業で、最後のラウンドでの企業価値は約70億ドル。米国の上場企業で時価総額130億ドルのTeladocは、2021年第3四半期の売上高が5億2,000万ドルで、前年同期比80%増となっている。
また、より洗練された分野として、家庭での診断が急成長している。セラノスのスキャンダルにより、一般消費者向けの診断サービスには悪いイメージがつきまとった。だが、パンデミックによって人々が家庭での検査に慣れてきたように、今ではより優れた技術と、それによって実現できることへの現実感が、この分野を回復させている。
この分野には、血糖値から便まであらゆるものを分析する機器がある。米国で2年前に設立された新興企業Levels Healthは、アプリと連動した持続血糖値モニターを消費者に直接販売し、処方する医師とインターネットでシームレスに接続している。創業者のジョシュ・クレメンテは、自分がアメリカ人の3分の1と同様に糖尿病予備軍であることを確認するために、友人に頼んでオーストラリアからこのようなモニターを密輸してもらったことがきっかけだった。米国では、この装置は糖尿病のコントロールができない人にしか処方されていなかった。
同じくアメリカのDigbi Healthは、便を使って顧客の腸内細菌叢を分析し、胃腸の健康を促進している。イギリスのSkin+Meは、自撮り写真を使って処方箋レベルのスキンケアを提供し、皮膚科に行く手間を省く。同じく英国のThrivaは、指を刺して採取した血液を分析し、高コレステロールや貧血などの症状を明らかにする。
規制の変化が求められる
消費者向けテクノロジーが医療分野に影響を与えるまでに時間がかかったのは、規制の厳しいこの分野が、シリコンバレーの文化にそぐわなかったことが大きな理由だ。しかし、近年では、規則に縛られた業界であっても、ディスラプション(破壊)が可能であることが示されている。
1つの戦略は、「一般的な健康商品」を販売していると位置づけることで、厳密な調査を回避し、医療専門家に相談するのは助言のためだけにしたり、潜在的な投資家に自社製品が科学的に裏付けられていると納得させることだ。例えば、英国内でサブスクリプションベースの血液検査を提供しているThrivaは、同社の血液検査は正式な診断ではなく「洞察」を提供するものだという口実を活用している。他の企業も慎重に行動している。Appleは、新しい腕時計のECG機能について、アメリカの食品医薬品局(FDA)に認可を求めた。
一方、規制当局は、より迅速な対応を目指している。新たに就任したFDA長官はGoogle Healthの元顧問だ。業界は、彼が率いるFDAが、長らく遅れていたデジタルヘルスソフトウェアの規格をようやく採用することを期待している。豪州、日本、シンガポール、EUでは、新しい医療機器の品質、安全性、臨床的価値を判断するための同様の基準を設けるために、デジタルヘルス戦略を策定している。また、データ保護に関する規則を採用する国も増えており、起業家や投資家、消費者にとって、どのようなデータを、誰と、どのように共有できるのかを明確にする必要がある。
コンシューマー・ヘルス・ブームには障害がある。コロナウイルス感染症が流行するたびに、オンラインで薬を販売する企業やデジタル病院の株価を押し上げた投資家は、コロナウイルスの脅威がやや後退した今、こうした企業に冷淡になっている。2021年初頭に300億ドルを超えたTeladocの市場価値は、2020年初頭にパンデミックが発生する前の水準に戻っている。過去1年間で株価が4分の3に下落したHims & Hersの見通しは、2020年後半にアマゾンが電子薬局事業を開始したことで、さらに低下した可能性がある。中国のデジタルヘルス企業は、共産党の広範な技術取り締まりに巻き込まれている。WeDoctorは、香港での大規模なIPOの計画を棚上げした。
製品の中には不発に終わるものもあるだろうし、規制当局が排除するものもあるだろう。しかし、先進国はすべからく少子高齢化に向かっており、ヘルスケアに大きなイノベーションを期待せざるを得ない状況だ。日本はその最先端にいる。最もドラスティックで実験的な試みは日本から生まれるべきではないだろうか?