利潤追求は豊かさだけでなく、カモをだます欲求をも生み出し「レモン市場」を成立させる『不道徳な見えざる手』

著者は、自由市場が消費者の知識や自制の欠如を悪用し、彼らを「愚か者」に変え、騙す戦略を実行することを促す、と指摘します。つまり、利潤追求は豊かさだけでなく、だましも生み出すということです。

利潤追求は豊かさだけでなく、カモをだます欲求をも生み出し「レモン市場」を成立させる『不道徳な見えざる手』

このブログは『不道徳な見えざる手』(ジョージ・アカロフ、ロバート・シラー)の書評です。

著者のアカロフはカリフォルニア大学バークレー校経済学教授で前米連邦準備制度理事会(FRB)のJanet Yellenの夫です。2001年、情報の経済学への貢献でノーベル経済学賞受賞をしています。彼は特に「情報の非対称性」に関する「レモン市場」の研究で有名です。レモン市場とは、商品の売り手と買い手に情報格差が存在するため、安くて品質の悪い商品(レモン)ばかりが流通し、高くて品質の良い商品(ピーチ)が出回りにくくなる現象のことです。レモンは皮が厚くて外見から中身の見分けがつかないことから、主に米国で低品質の中古車の俗語として使われています。売り手は、買い手が商品の本質を知らないため、自分の売りたい商品が不良品でも良質な商品と偽って売ろうとしますが、買い手はそれが低品質の商品だと分かると次第に評価をしなくなり、さらに買い取り価格を下げるため、ますます不良品が多く出回る市場になってしまう傾向があります。アカロフは1970年の論文で情報の非対称の例としてレモン市場を挙げたのです。

もうひとりの著者であるシラーはイェール大学で経済学のSterling Professorを務め、イェール大学経営学部の国際金融センターのフェローです。シラーは、2013年ノーベル経済科学賞を「資産価格の実証分析」で共同受賞しました。2000年に出版した、資産価格と収益率の乖離を指摘したり、ドットコムバブルの崩壊を事前に予測していたりする"Irrational Exuberance"(根拠なき熱狂)がベストセラーとなりました。出版から一年後にドットコムバブルは崩壊したのです。

アカロフとシラーは限定不合理性について述べた『アニマルスピリット』でタッグを組んでおり、本書はタッグの二冊目です。本書には、中古車ディーラーからクレジットカード利用者、ジャンクフード、ジャンククレジットまで、多くの例があります。二人は、自由市場が消費者の知識や自制の欠如を悪用し、彼らを「愚か者」に変え、騙す戦略を実行することを促す、と指摘します。つまり、「利潤追求は豊かさだけでなく、だましも生み出すことを示している」が、本書における彼らの主張なのです。

原題の"Phishing For Phools"にあるphishing(フィッシング)という言葉は、日本でもすでに広まっていますが、原義は「釣り(fishing)」であり、インターネットの”釣り”を指しています。foolをもじった造語phoolは、まんまと騙される人、うまいこと釣られる人のこと、つまり「カモ」を指しています。本書ではカモには心理的なカモと情報的なカモがいると説明されています。心理的なカモはギャンブルにはまったりスナックを食べすぎてしまうような自分が抑えられないタイプで、情報的なカモはエンロンの株価や格付け情報など、意図的につくられた誤情報によって行動してしまうタイプです。

アカロフとシラーは、1980年代のS&L危機に2つの章を捧げました。S&L危機とは金融自由化のために発生した小規模金融機関の連鎖倒産を引き起こし、なかでもS&L(貯蓄貸付組合)の経営悪化は著しく,各地で預金の取付けが発生し,S&Lの預金を保険する連邦貯蓄貸付保険公社 (FSLIC)の収支も1986年以降赤字に転落する一連の出来事を指します。S&Lは政府による救済措置を継続的に受けたおかげで、内部で著しいモラルハザードを引き起こしました。S&Lは事実上破綻しているにもかかわらず営業を続け、復活投機的で思慮分別のない、時には詐欺的な活動に従事したのです。アカロフとシラーはS&L危機を「騙し」ではなく「略奪」に近かったと説明しています。S&L危機はしばしばサブプライム危機と対比されます。

彼らは、効率性市場仮説に対して厳しい視線を浴びせてきました。「ほとんどの国は自由市場に対する敬意を学び、ほとんどの場合それは適切なことだ。自由市場は高い生活水準をもたらす」。しかし、彼らは条件をつけます。「あらゆる適切な前提がすべて本当に整合していれば、市場はかなりうまく(教科書で述べるとおり)機能するかもしれない」。彼らの考え方は、効率性市場仮説とは一致しないのです。

本書では、経済のエージェントが手を染める不道徳な「反則行為」によって、自由市場の前提がいとも簡単に狂うことを示していきます。「私たちは – 教科書の中や、ほとんどあらゆる経済学者の標準的な心構えのように – 市場の健全な(つまり「効率的」な)働きだけを描くのはまちがっており、経済的病理学は、単に外部性や所得分配のせいだけであるかのように描くのはよくないと考えている」。このように現実世界に見られるさまざまな詐欺的手法を軽妙な語り口で紹介しているのが本書の魅力です。

別のブログで紹介した『ウォール街の物理学者』たちは異なる理由から、効率性市場仮説とは距離を置いていました。また、行動経済学もまた、効率性市場仮説への反証をどんどん積み上げていきました。効率的な市場が存在しないとしたら、どうすればいいでしょうか。自分たちで作るしかないのではないでしょうか。

『不道徳な見えざる手』  ジョージ・アカロフ、ロバート・ラー  東洋経済新報社

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