ハッカー文化とテック企業の起源を綴る記念碑的ドキュメンタリー『ハッカーズ』

1984年の「ハッカーズ」は1950年代のコンピュータ黎明期から、1983年までの30年余を描いたコンピュータの歴史の記念碑的作品です。本書を通じて、現代の「テック企業」の繁栄の最初期を知ることができます。

ハッカー文化とテック企業の起源を綴る記念碑的ドキュメンタリー『ハッカーズ』

スティーブン・レビーは、1984年に最初の書籍「ハッカーズ」を執筆しました。1950年代のコンピュータ黎明期から、1983年までの30年余を描いたコンピュータの歴史の記念碑的作品です。

レビーは当時、ローリング・ストーン誌のライターであり、ハッカーに関する記事を書く仕事を割り当てられました。当時のハッカーの一般的なイメージは「ビョーキのコンピューター中毒者」というものでした。しかし、レビーが実際に見つけたのは、シアトル、シリコンバレーとマサチューセッツ州ケンブリッジにある活気に満ちたコミュニティでした。アップル、マイクロソフトなどの企業、MITの初期のコンピュータコミュニティはすべて、ハッキングに関する共通の見解、つまり、「ハッカー倫理」を共有していました。この倫理の重要なポイントは、アクセス、情報の自由、生活の質の向上です。彼らは不可能なことをしようとする賢者の集まりだったのです。

第1部では、レビーはMITでのハッカーの誕生を記述します。MITが1959年に電子会計機械(EAM)部屋に初期のIBM 704コンピューターを収容しました。この部屋は、テック模型鉄道クラブ(Tech Model Railroad)のMIT学生が、IBM 704の納入後数時間後に”潜入”し、最初のハッカーの足場となりました。IBM 704 は高さ2.7 m、重さ30トンのコンピューターで彼らはプログラミングを実行したのです。このIBM 704は、数学者のエドワード・ソープがブラックジャックの基本戦略を計算するために利用したことで知られています。

Man and woman working with IBM type 704 electronic data processing machine used for making computations for aeronautical research. Langley NACA (Source: NASA, Wikimedia Commons)

MITのグループは、ハックを、「何らかの建設的な目標を達成するために行われたプロジェクトまたは構築された製品」と定義しました。ハックという言葉は、MITの学生が定期的に考案するいたずらを表すために長い間使用されてもいました。ハッカーの倫理は当時のコンピュータ愛好者の間で、表立って議論されることがなく、暗黙のうちに受け入れられ、黙って同意されていました。

次は、ハードウェアのハッカーたちが登場します。第2部は、第1部より少し後の1970年代中盤以降のムーブメントを扱っています。これは、自分だけのコンピュータを持ちたいと考える人々の願望と技術革新の歯車が噛み合う奇跡的な時期です。ホビーストたちは初期のユーザーグループであるホームブリュー・コンピュータ・クラブを結成し、定期的な集会を開き、そこでお互いに情報交換をしていました。People's Computer Company の雑誌にレビューを掲載するために MITSAltair 8800 が送られてきたことをきっかけとして、最初の会合がカリフォルニア州サンマテオ郡メンローパークにある住居のガレージで1975年3月に開催されています。最初のパーソナル・コンピュータであるAltair 8800は、キットとしてしか発売されておらず、まずそれをはんだ付けして組み立てる必要がありました。しかし、愛好者は、このコンピュータに殺到しました。そんな中、Altair 8800用の言語、BASICを開発したビル・ゲイツは、その著作権を主張しました。しかし、彼の主張はハッカーの倫理から外れるものでした。そのため周囲からの大きな反発を受けたのでした。

時を同じくして、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックらもコンピュータの自作を開始し、1977年、完成品のパーソナル・コンピュータ、Apple II を発売しました。これをきっかけにコンピュータは、一般家庭にも進出するようになります。

ウォズニアックは高校時代からハードウェアハッカーでした。彼は最初のホームブリュー・コンピュータ・クラブの会議に行き、ハードウェアとコンピューターに同様の興味を持つ人と知り合い喜んでいました。彼は、ヒューレット・パッカードで働きながら、MOS Technology 6502マイクロプロセッサに基づいて自分がデザインしたコンピューターを構築しました。このコンピューターは後にApple Iとして知られています。

ウォズニアックはアタリで働いていたスティーブ・ジョブズと友達であり、ジョブズはウォズニアックが構築したコンピューターに興味を持っていました。ウォズニアックは最初、雇用主のHPにこのアイデアの採用を求めましたが、彼らはパーソナルコンピューターは市場性がないと断言し、それを拒否しました。その後、ウォズニアックはジョブズの申し出を受け入れ、2人は会社をAppleと命名し、コンピューターを666.66ドルで販売しました。彼らのソフトウェアは、無料または最小限のコストで他の人が利用できました。彼らは、ウォズニアックがハードウェアをハッキングする間、ジョブズが会社の経営を担当し、ガレージから会社を構築したのです。

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第3部では、家庭用コンピュータの普及に大きな影響を与えたコンピュータ・ゲームが登場します。ゲームも最初は、ユーザー同士の間でコピーし合う共有財産でした。しかし、ここでもこれが商品になると目をつけた者がいました。この本では、オンライン・システムズ社を起こしたケン・ウィリアムズを中心にソフトウェアの世界の変化が描かれています。

エピローグ「真性ハッカーの終焉」では、若き日のリチャード・ストールマンが登場し、古き善きハッカー文化が死につつあったのを、レビーは嘆いています。ストールマンは最終的に、Linuxにつながった「フリーソフトウェア」運動の創設者になりました、が。

本書では、現代の「テック企業」の繁栄の最初期を知ることができます。コンピュータという見慣れぬ機械を愛好する人々のコミュニティだったものが、技術革新とビジネスの成功によって、大きく変化していく様がわかります。現代のテック企業は、本書の中に存在する在野的なマインドの持ち主とは異なり、最も影響力の高い企業群となりました。もしかしたら、いまも、どこかに、人知れずして、次のハッカーコミュニティが生まれているのかも知れません。

Image via O'reilly Media

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