アームの時価総額は想定の1/3の2.5兆円かもしれない
ソフトバンクグループ(SBG)の孫正義氏は、近く上場する英半導体設計のアームを「AI銘柄」に仕立て上げ、割高な時価総額を得ようとしている。昨今のAIブームの受益者ではないアームの価格は、インテルと同じ物差しに当てると、2.5兆円まで萎む。SBGの想定の3分の1だ。
ソフトバンクグループ(SBG)の孫正義氏は、近く上場する英半導体設計のアームを「AI銘柄」に仕立て上げ、割高な時価総額を得ようとしている。昨今のAIブームの受益者ではないアームの価格は、インテルと同じ物差しに当てると、2.5兆円まで萎む。SBGの想定の3分の1だ。
9月5日、SBGは子会社アームが米ナスダック市場における新規株式公開(IPO)の公開価格の仮条件を公表した。価格は1株47ドル~51ドルを予定しており、これにより、「想定」時価総額が最大で約520億ドル(約7兆6,600億円)の見込みだ。
アームの最終的な企業価値(バリュエーション)は注目の的である。SBGは先月、同社が運用する「ソフトバンク・ビジョン・ファンド1(SVF1)」から、アームの株式25%を160億ドルで取得することに合意し、このときの時価総額は640億ドルだった。ただし、アームは、2016年のSBGによる買収時に320億ドルと値付けられ、2020年のNVIDIAとの売却契約時には400億ドルと値付けられた。ボーナスで構成されるアドオンを外すと、NVIDIAの実質的な値付けも320億ドル程度である。
最終的な時価総額は、SBGの財務を著しく左右するだろう。以下のブログで触れた通り、NVIDIAの買収契約時と同じ320億ドルだった場合、同社の負債状況を勘案すると、かなり難しい局面を迎えることになる。そして価格がもっと低かったら、浜松町から火の手が上がるかもしれない。
孫氏はこれを昨今のAIブームにくくりつけることで、高値をつけさせたいのだろう。孫氏は今回、ウォール街を仲間につけることに成功した。ソフトバンクGは上場に際して28もの投資銀行を雇った。
アームは、IPOで調達しようとしている50億ドルから54億ドルの2%を投資銀行に支払う用意があるという。最大1億800万ドルだ。バークレイズ、ゴールドマン・サックス、JPモルガン・チェース、みずほフィナンシャルグループの4行は、それぞれこのプールから17.5%を受け取ることになる。役割の少ない銀行も3%ずつ受け取る。また、投資銀行はIPOマーケットの停滞による減収に苦しんでおり、IPOラッシュを復活させるかもしれない孫氏のトライを成功させようとする強いインセンティブを持つ。WeWorkの一件あたりからずっと吹き荒れてきたSBGへの批判の暴風が、今回だけは妙に弱い気もする。
しかし、そもそも、2016年の買収時の320億ドル自体がプレミアムを載せすぎていた可能性がある。米メディアThe Informationが引用したS&Pグローバル・マーケット・インテリジェンスによると、クアルコム、AMD、ブロードコム、インテルなどチップ企業10社の過去12ヶ月の売上高倍率は平均6.5倍で取引されている。この倍率をアームの2022年の売上高に当てはめると、企業価値は170億ドル(2兆5,000億円)となる、とThe InformationのMartin Peersは書いている(アームの売上高は今年に入り減少している)。2022年の売上で40倍以上のNVIDIAは例外である(2023年以降は急成長しすぎており参考にしづらい)。
AIブームとその受益者
昨今のAIブームは、昨年末のChatGPTのセンセーションに端を発している。ChatGPTの大元にある大規模言語モデル(LLM)への投資を各社が争うようになり、AIのトレーニングに必要なNVIDIAのサーバーGPUの需要が急騰した。NVIDIAはこの分野に長期的に投資し、垂直的な価値提供に成功しており、効果的な競合の存在を許していない。
NVIDIAがAI向けに提供開始しているCPU混載GPU「Grace Hopper(以下GH)」にはアームのアーキテクチャを基礎に設計されたCPUのGraceが載っている。これが、アームが自社をAI企業と定義する上で最も有効なポイントであるだろう。
しかし、最近発表された次世代機「GH200」のホワイトペーパーを私が読んだところでは、Graceは、様々なAIモデルのトレーニングにおいては補助的な役割を果たすに過ぎない。当たり前の話だが、機械学習(ML)ワークロードは、並列計算を行うGPUが引き受ける。
アームがGHシリーズにおいてどの程度の取り分を取っているかは推測の域を出ないが、年初から6月まで少しずつ減少したアームの売上と、NVIDIAの異常な速度で膨れ上がったデーターセンター部門の収益の急上昇(下記)を比較すると、状況は見えてくる。主役ではないアームの分前は少ない可能性が高い。おそらくデーターセンターCPUアーキテクチャのIPである「Neoverse」のライセンス料をNVIDIAが収める、という通常の契約になっているのではないか。
これで、データセンターにおけるAI企業の座を主張することは難しいように思える。残りは、デバイス(エッジ)である。
英証券会社であるバーンスタインのサラ・ルッソは、英エコノミスト誌に対して「AIがデータセンターから消費者向けアプリに移行するにつれて、より少ないエネルギーでAI機能を実行できるデバイスが必要となる。低消費電力で高性能なチップを得意とするアームは、その需要に応えることができるだろう」と書いている。例えば、モバイルでは、AIに関連したニーズを想定することができる。アップルとグーグルのハイエンド機種には独自に設計されたAIチップが搭載されている。アップルはその設計について詳細を明らかにしていないものの、グーグルの「Pixel」に搭載されたAIチップは、アームの知的財産(IP)を採用していることが明らかになっている。
ただし、モバイルやその他のエッジデバイスでのAI利用がどの程度の規模になるかはまだ不透明だ。一定の遅延を許容するなら、これまで通りデーターセンターでAIを動かせばいい。また、役割を限定することで、非常に軽いAIのみをエッジで展開するケースもある。この場合は既存のCPUで足りてしまうかもしれない。エッジデバイスにおけるAIがアームの成長要因にはなるかを見極めるには、時間が必要だろう。
AIブームをアームが享受できないであろう最大のポイントとなるのは、アームのビジネスモデルにあるだろう。同社は「IPを通じてライセンス料をとる」というビジネスモデルを採用し、これによってリスクが小さく収益性の高いビジネスを続けてきた。ライセンス契約には様々なバリエーションがあるだろうが、NVIDIAがGH100を5〜7割と言われる粗利で大量に売っても、アームは一定の割合のライセンス料を受け取るのみだろう。アームは在庫を抱えるリスクを持たないものの、このような世紀のバカ売れの利点をすくい取ることができない。
アームの苦悩は、最大顧客のクアルコムのチップに使われたIPの権利を巡って、法廷闘争にもつれ込んだことからも分かる。クアルコムの設計は、アップルの自社製システムオンチップ(SoC)と同様のアプローチで、アームが受け取れるライセンス料を効果的に圧縮しうるものだった。アームはデバイスメーカーから価値に応じてライセンス料を取るビジネスモデルへの転換を目論んでいる、とフィナンシャル・タイムズは関係者の談話を紹介している。
このような動きは、最も大きな脅威である、RISC-V陣営の人気を大いに引き立てることになるだろう。クアルコムは法廷闘争開始後にRISC-Vへの投資拡大を明言している。欧米中の包囲網を受ける中国もまた、投資を拡大しており、RISC-Vチップで動くAndroidも将来的に実現するだろう。
RISC-Vのチップは今まさにラボで設計されている最中で、数年後には市場に登場し、広範な範囲でアームを追い詰めるだろう。SBGがアームを売り抜けるなら、AIのそよ風が吹く、いま以外ない。