小さく賭けて仮説を検証しろ、それまでオールインに出るな
スタートアップの仮説が正しいかどうか判断するには現実の世界で検証するしかありません。探偵のように何が推測で何が事実なのか判定した後に、大きな賭けに出るべきでしょう。
このブログでは、『STARTUP(スタートアップ):アイデアから利益を生みだす組織マネジメント』の書評を行います。著者のダイアナ・キャンダーは起業家兼コンサルタントで、米カウフマン財団(アントレプレナーシップ教育で世界最大の非営利団体)の上級研究者を務め、アントレプレナーシップ教育の分野で幅広く活躍しています。米ジョージタウン大学ロースクール卒業後に弁護士になるものの、すぐに起業家へ転身。以来、何度も起業してイグジットに成功。多くのスタートアップに出資するエンジェル投資家でもあります。
『STARTUP』はすべての人が理解できるように単一のパッケージにまとめられた教材であり、小説形式でスタートアップの要所を説明します。本書はジョージタウン大学やコロンビア大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)、コーネル大学など全米70校で教科書として使われています。
主人公はコンサル会社を辞め、念願の起業を果たしたオーエンです。彼の事業は失敗し、借金を抱え、あとは破産を待つだけの状態で、さらに夫婦関係の危機まで追い打ちを駆けています。そんなさなか、彼は現実から逃れるかのようにラスベガスのワールドシリーズオブポーカー(WSOP)に参加しました。そこで彼は連続起業家のサムと出会い、ポーカーを比喩に使いながらスタートアップのいろはを叩き込まれます。つまり、読者はオーエンと同じ立場に立って学習をできます。米国のビジネス書にはこのような形式のものが確立しており、最も有名なのは、『ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か』(エリヤフ・ゴールドラット)です。
サムがオーエンに教えるのは、条件が揃うまでは探索を続け、条件が揃った段階で「オールイン」(ポーカーでチップをすべて賭けること)をしろということです。そしてサムは初めての起業家が陥りがちな失敗を指摘していくのです。
起業家は自分の考え方を製品設計の全般に適用してしまう傾向があります。これはスティーブ・ジョブスのような顧客の欲しい物を予期できるリーダーなのか、それとも、顧客を分析して彼らの隠れた欲求を満たす製品を作るリーダーなのか、という問いです。大概の起業家は後者の人材に当たります。それが第三部の「正解を知るのは顧客だけ」で説明されています。
「人は特性や機能を求めて店に行くわけではない。『長持ちする物が欲しい』などと思って店の中を歩き回ったり、ネットサーフィンをしたりするわけではない。ではどうして店に行くのか。それは何らかの問題を抱えており、それをどうにかして解決したいと思っているからだ。カーペットにこびり付いている染みがどうしても取れない、自宅に子どもを置いたまま夜中に出掛けられない、退職後の蓄えが十分あるかどうか心配で仕方ないーーこのような問題で悩み苦しんでいる。だから問題を解決してくれる製品やサービスに対しては喜んでお金を払う。こんな人たちこそ顧客なのである」。
著者が「スタートアップの絶望のループ」と読んでいるのは、アイデアを思いついたら、まず商品を作り、それにブランドをつけ、顧客を探し始めることです。つまりいるかいないかわからない顧客を想定して多大なコストを使い、そしてサンクコストのせいで、足抜けができなくなってしまうことを指します。
そして、著者は「起業家は探偵であり、占い師ではない」と指摘しています。「本物の起業家は事実を追求する。探偵のように行動する。その点で単なる空想家やアマチュア起業家とは決定的に異なる。仮設が誤っている場合には事業の方向性を大転換する覚悟もある。仮説が正しいかどうか判断するには現実の世界で検証するしかない。これによって何が推測で何が事実なのか判定できる」。
短期的に成功することを目指すがあまり誤った指標をKPIに設定し、それを追い回すのは、典型的な失敗パターンです。バニティメトリクス(虚栄の指標)は、他の人にとって見栄えのよいメトリクスですが、製品のパフォーマンスを知るのには役立ちません。ページビューは虚栄の指標の典型的な例です。ページビューは表面的には見栄えが良いものですが、実際にはそれが何回スクリーンに表示されたかを示しているだけなのです。本書では言及されませんが、この対極にアクショナブルメトリクス(行動につながる指標)があります。アクショナブルメトリクスはしばしば流動的です。当初はリテンションレート(ユーザー維持率)が行動につながる指標だったのが、やがて、ユーザーのロイヤルティが安定し、今度は製品の収益性が求められる段階に到達すると、1ユーザーあたりの平均収益(ARPU)に移り変わるということがあります。
仔細に状況を確認してから、賭け金を引き上げるという戦い方は、数学者のエドワード・ソープが自身が考案したブラックジャックの基本戦略をネバタ州のカジノで試すときにも採用しています(『天才数学者、ラスベガスとウォール街を制す』)。本書には章ごとに小題が設定されており、「小さく賭けて仮説の正しさを検証する、それまでオールインに出るな」「顧客が商品を欲し、それを実現するビジネスモデルが存在すると証明せよ。それまでオールインは禁物」等、金言に溢れています。
私も起業家ゲームを開始して二年以上が経ちますが、最初のうちは、本書に書かれていることを理解しながらも、失敗を繰り返しました。結局、スタートアップというストレスフルな環境のなかでは、当たり前のことを実行することは難しい。そして世界はポーカーほど単純ではない。だからこそ、当たり前のことばかりが書かれている本書は、非常に有用なテキストに感じられます。
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