NFTはポケモンカードより遥かに価値がない
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NFTはポケモンカードより遥かに価値がない

最近価格が高騰したポケモンカードは愛好家の間でのバトルに使える。スニーカーは履いて街を歩けるし、ロレックスは時間を見て自分の富裕さをアピールできる。でもNFTはどこかのサーバーにデータがある、それだけだ。夏の終りが近い…

吉田拓史

日経クロステックの『NFTの技術とその特性を知る、本当にデジタル権利の表明に使えるのか』(リンク)を読んで思ったのが、「NFTはポケモンカードのようなもの」ということだ。慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科特任助教の阿部涼介はNFTの技術的な説明を丁寧に行い、NFTについて「特定のスマートコントラクト下では代替不可能なトークン」と表現している。“特定のスマートコントラクト下”というのは恐ろしいほど狭い条件である。

また、阿部は非常に丁寧に説明した上で「NFTとデジタルデータがお互い一意に結びつき、1対1対応であると断定するのは難しい」と書いており、これは私が釣りタイトルの数記事で荒々しく指摘していたことと重なり合うものだ。界隈の人が言う興味深い言葉「唯一性」は成り立たない。

日本よ、目を覚ませ、Web3はクソだ!
Web3の誇大広告は日本の政界にまで浸透し、大手メディアでは誤った説明が繰り返されている。バブル崩壊以降の30年間を経済停滞の中で過ごした日本にとって、Web3への投資は船が再び誤った方向に進んだことのシグナルとなってしまうだろう。
NFTがゴミである理由
NFTは著作権、翻案権をめぐる致命的な脆弱性をいくつも持っている。その大半は何の権利も所有者に与えない詐欺まがいの代物だ。そして複製可能でもある。NFTを扱うということは詐欺師と法律家を儲けさせるということだ。
ゲーム業界もWeb3を見限る 富者と貧者の分断がゲームの楽しみを壊す
Web3は「持てる者」と「持たざる者」にプレイヤーを分断し、ゲーム本来の楽しみを破壊すると懸念されている。すでに業界での熱は冷え、ゲーマーと開発者からは蛇蝎のごとく嫌われていると言ってもいいだろう。

ここから私の感想である。このNFTが喧伝された機能を果たしていないという事実は、「ポケモンカードは愛好家にとっては意味があっても外部の人にとっては紙切れ」という状況とリンクするように僕には思えた。

NFTが好きな人やNFTで儲けようとしている人しかいないチャットルームの中では、NFTは何かを意味している重要なデータというのが共通観念となる。でも、前回のブログで説明したとおり、流通しているNFTは著作権や翻案権に脆弱性がある。これを法律事務所にお願いしてカバーするくらいなら、最初からNFTを取っ払って、直接著作権等を売り買いするほうがいいだろう。

だから、NFTはJSONというデータ記述言語で出来たデータ以外の何物でもなく、一般的な有用性がない。でも、一般的な有用性がなくとも、コレクターが好むものはたくさんある。典型例の一つがポケモンカードだ。

NFTとポケモンカードは重要な共通点を持つ。これらのニッチなオークション市場は、パンデミック、金融緩和、政府に拠る現金給付によって、投機的な側面を高め、価格が暴騰した。ロレックススニーカーのようにこれらの要因によって価格が暴騰したと推察される収集品は他にもある。

パンデミックの間価格が高騰し、最近崩壊したロレックス価格。暗号資産の市場崩壊と似ている。
パンデミックの間価格が高騰し、最近崩壊したロレックス価格。暗号資産の市場崩壊と似ている。

ベンチャーキャピタルはイグジットしないといけない

NFTは、小さなイーサリアム(Ethereum)ノード群の中でだけ通用する愛好家の論理であり、愛好家内で楽しんでいる分には文句がない。外部にその価値を訴えるからおかしくなっている。最近の界隈はベンチャーキャピタル(VC)駆動の側面が強い(日本では一部のIT企業もクルマを押している)。このため、どうしても愛好家だけの楽しみにとどめていられず最終的に情弱をカモる方向に向かっている。日本の枢要の一部も格好の標的なのだろう。

最終的には、Ethereumのノード群に置かれているデータが何を意味するか、が信奉者と非信奉者の間の分水嶺となっているだろう。僕は「それはデータであり、それ以外の何物でもない」と思う。

Ethereumの取引ネットワークの概略図。各ノードはEthereumアカウントを表す。Zibin Zheng et al(2020). CC BY. via https://www.researchgate.net/figure/Schematic-of-the-Ethereum-transaction-network-Each-node-represents-an-Ethereum_fig2_342554024

現状のNFTのメタデータの中で目ぼしいものはURLだ。URLが参照するサーバー(あるいはネットワークストレージ)にデータがアップロードされているだけだ。これだけでは、NFT所有者に何の権利も渡していないことは一目瞭然だ。もちろん「唯一性」を担保することもできない。

また、すべてのデータがそのままチェーン内に入っても(フル・オン・チェーン)状況は変わらない。それがOpenSeaのようなマーケットプレイスが管理するサーバーに収まるか、それともEthereumのコンピュータ群に収まるかに別段違いはない(あると考えるなら「信仰」の有無によるだろう)。結局、弁護士による松葉杖が必要になる。

両方とも「ブロックチェーンが信頼に依拠しない取引を可能にすること」を触れ込む形容詞「トラストレス」とは程遠い。OpenSeaはセキュリティの脆弱性をつかれたことが何度もある。暗号学者、コンピュータセキュリティ研究者であるモキシー・マリンスパイクは「ブロック内のURLをハッシュしていないこと」等数々の脆弱性を指摘している。同社は顧客のEmail情報を漏洩し、プロダクトマネジャーがインサイダー取引の疑いで逮捕されている。これならOpenSeaのサーバーからNFTのデータを改ざんすることも容易なように思われる。

Ethereumのネットワークも脆弱性攻撃への耐性について余り証明されていない。例えば、インターネット・サービス・プロバイダ(ISP)が共謀してネットワークを落とすと、ブロックチェーンが破綻したり、無限にフォークしたりするだろう。プルーフ・オブ・ワーク(PoW)もまた一定数以上の共謀に弱く、マイニングプールによる寡占は脅威である。ビットコインは64人の初期参入者が圧倒的な権力を保持し、ときにそれを行使してきたとする研究もある。

Ethereumが採用を検討しているプルーフ・オブ・ステーク(PoS)は、大口保有者による独占戦略に対して脆弱であるとチューリング賞受賞の暗号学者シルビオ・ミカリは指摘している。(ミカリは自身が始めた暗号通貨Algorandで、PPoS[Pure Proof-of-Stake]という新手法を提案している。余談:私は2019年1月のミカリの来日時に公演を聴いている)

なぜ僕が仮想通貨コンテンツプラットフォームを作ろうとし、それをやめたのか
暗号通貨は既存の金融機関のシステムから完全に分離しています。インターネット上で起きている人々の行動・需要に即した仕様をゼロから描けるという利点があります。
MITのCS, ゲーム理論家集団が生んだ暗号通貨 Algorand
MITのCSとゲーム理論の専門家が結集したAlgorandのビザンチン合意プロトコルは既存のプロトコルの課題を超えている可能性があるが、保留されている誘因設計が吉と出るか凶とでるかが、その価値を分けることになる。

ブロックチェーン信仰を「信じるか信じないかはあなた次第です」

NFTをめぐる議論は技術的な議論ではなく、「信仰」の議論だ。しかし、いま日本でWeb3を持ち上げているグループはWeb3を完全なものとして描かないとならず、「信仰の問題」にできない。なぜなら、個々人の信教の自由に委ねられる信仰の問題になったら、儲からないからだ(宗教法人という税制上極めて有利な法人格を取得できる点は除いて)。

最初にこの信仰を日本に布教した人々は、たくさんのお金をすでに投じており、「出口」を見つけないといけないのではないか、と僕は推定している。でも、ムダなものを言語障壁のせいでときに情報の非対称性に苦しむ日本の意思決定層に流布するのは、流石にモラルがないのではないか、と首をひねっているわけだ。

ブロックチェーン教徒ではない僕としては、NFTはコレクターグッズの中でも最底辺にあるように思える。

ポケモンカードは愛好家の間でのバトルに使える。スニーカーは履いて街を歩けるし(それで「歩けば稼げる」アプリStepnをやったっていい)、ロレックスは自分の富裕さをアピールできる。でもNFTはどこかのサーバーにデータがある、それだけだ。夏の終りが近い…