GojekとGrabのスーパーアプリ戦争

Go-Jekが最大の市場で事業を開始した幸運に恵まれたこともあり、また合理的な範囲内での事業拡大の速度を守ったことで、「効率性」を担保し、事業の「拡張性」を保全することが可能になった。

GojekとGrabのスーパーアプリ戦争

TL;DR

多量の資金を集めるGo-Jek と Grabだが、Go-Jekの方が少ない資金をうまく使っているようだ。


先週は「東南アジアのデジタルエコノミー」について紹介した。今週はそのデジタルエコノミーのなかで最も熱い決戦について触れてみたい。それはGo-Jek と Grabという「スーパーアプリ(Super App)」の決戦だ。書いてみて思ったのは、これは「ロングストーリーになるな」ということだ。だから今回はエッセンスをまとめてある。来週以降より詳細に書いていこう。

中国で「一つのアプリにすべてのサービスを閉じ込める」スーパーアプリというモデルが生まれた。それを「最初からやったらどうなるのだろう」という実験をいま東南アジアでやっている。これが成功するなら似たようなことがインドを含む東南アジア以西のアジア、それからアフリカで試みられるのは目に見えている。ココらへんが両者の競争、あるいは生存を巡る闘いをウォッチする面白みである。これは富裕国のたどった経緯をすっ飛ばすことからしばしば「リープフロッグ(跳躍)」と表現される。言わば世界最高峰の話なのだ。

これは二者間の「ゲーム」と捉えてよさそうだ。実際には他にも小さなプレイヤーが存在するが、資本の規模とネットワークで二強は他を圧倒している。この対決の「関が原」になりそうなのがASEAN諸国の人口の4割、GDPの4割を満たすインドネシアなのである。私は2010〜2015年の間インドネシアで政治経済を担当する記者をしていたので、土地勘があるしインドネシア語の資料も読める。さてインドネシアを主軸にこの「天下分け目の決戦」の検討してみよう。

Grabの調達額はGo-Jekの3倍

まず、両者の状況を整理しよう。

Go-Jekの投資家はセコイア・キャピタル、シンガポール国営投資会社テマセク・ホールディングス、JD.com、テンセント、Google、三菱UFJファイナンシャルグループ、三菱商事、三菱自動車など多数。

Grabの投資家はSoftBank Vision Fund、トヨタ自動車、マイクロソフト、東京センチュリー、ヤマハ、現代自動車、Booking Holdings、平安保険金融グループなど多数。

Chrunchbaseによると、Grabは合計28回の投資ラウンドを重ね、総額91億ドルを調達。Go-Jekは合計10回の31億ドルを調達している。Grabは3倍の資金を市場に投じてきたことになる。Grabはそれを元手にUberの東南アジア事業を買収しGo-Jekよりも早く東南アジア展開を仕掛けたのだ。

Grabの企業価値は120億〜130億ドル、Go-Jekは90〜100億ドルと推計される。

ものすごい勢いで資金調達を進める二者だけど、Go-Jekの方が慎重な傾向を帯び、Grabは積極的な傾向を維持している。

推測される財務状況

企業価値と調達額のバランスを見る限り、Grabはほぼ限界までお金を調達したことになる。Go-Jekも積極的ではあるものの、Grabより慎重で、資金調達余力を残していると考えられる。

両者はお互いのポケットの中身の推定を、高めの精度で行うことが可能だと考えられる。自分の取る行動が相手に影響を与えるのを考慮して意思決定をしているだろう。公開情報を使うだけでもある程度そういう想定が効くはずである。

Grabをめぐる状況はどちらか二つである。

  1. Grabは優勢、あるいはイーブンの状況で、資金量で優位に経とうとしている
  2. Grabは劣勢に立たされており、資金量で挽回しようとしている

Go-JekがそこまでGrabの姿勢を追随しない要因としては、以下の4つが考えられそうだ。

  1. 運転資金に余裕がでてきた
  2. 様子見
  3. 資金繰りがきつく、投資家がつかない
  4. 株式の希釈化が深刻で追加投資がやりづらい

資金量と先行者利益のGrabか、最大市場を本拠地とするGo-Jekか。解像度が低いのでもう少し情報を足してみよう。

Go-Jekは去年の段階で黒字化しようとすればそうできた可能性が高い。Go-Jekは2011年創業の会社で以来赤字が続いていたが、去年頃から黒字化しそうだとCEOが話していた。もちろん昨年は積極的な海外展開を行った年であり、強くアクセルを踏んだため、黒字化の要件が増えたとみられる。

Go-JekのCEOであるNadiem Makarimは今年4月、Go-Jekの流通総額(GMV)は2018年通年で90億ドルに達したと語った。 GMVは2016年から2018年までの2年間で13.5倍に成長したという。仮にGo-Jekが10%のマージンをとっていると仮定すると、9億ドルの収益があるということになる。Go-Jekの事業はインドネシア一国に集中してきたのである程度の効率を担保できているはずであり「黒字化できる」と語っていたのは嘘ではないだろう。

「マーケットプレイスのマーチャントの所得への貢献」に関するインドネシア大学経済学部人口動態研究所の調査と、CSISとTengara Statisticsの調査によると、両者の「所得への貢献」は拮抗状態にあるようだ(異なる調査の結果を比べているので真に受けないでほしいが)。所得への貢献にマージンを乗せれば、総流通額になるはずではあるものの、先述したMakarimが発表した数値の3分の1の水準なので、想定を裏切ってしまう。この調査結果は両者の流通総額がほぼ同水準である可能性が少しはある、と留意するのにだけ使える……。

GrabのAnthony Tanは2018年の収益は10億ドルに到達したと、Nikkei Asian Reviewの2月のインタビューで答えている。これは「収益」なので流通総額のうちGrabがとっている手数料の数値である。Go-JeKの同年の流通総額90億ドルと比較するわけにはいかない。

Grabの直近の資金調達がGojekの4倍に到達しているが、その使途は事業領域の拡大、ユーザー側からみたときには「スーパーアプリ内のアプリ」の拡大に充てられるようだ。同じNikkei Asian Reviewの記事によると、Grabは平安保険と共同でユーザーや運転手向けのオンライン保険を提供する。提供されるのは平安保険が大株主の中国最大のネット保険サービス衆安保険のサービス。またGrabはトヨタと共同で、車両支援サービスを提供し、Grabはシンガポールを拠点とするスタートアップHooqとの提携を通じて、Grabアプリでビデオストリーミングサービスを開始する。

Grabは前述した通り上場前に行える調達をほぼすべてを行ったと考えられる(負債による調達をしているかはわからない)。次の選択肢はIPO以外にないと考えられる。彼らは「出来るだけ早くいいIPOにたどり着きたい」と考えているだろう。M&Aと投資家の事業会社との連携により、ライドシェアだけでなく多種多様な事業領域を満たし、なおかつ財務的に健全である状態を作り、UberやLyftのIPO以降のコンテクストの中で「いいIPO」にしたいと思うのかもしれない。

地域全体へと拡大する戦線

Go-Jekは本拠地を固めた後、昨年からシンガポール、ベトナム、タイ、フィリピンへの進出を開始した。Grabの牙城であるシンガポールでは、GrabとUberが参入して以来、シンガポールには数社のライドシェアアプリが進出したが、彼らはマーケティングのために必要な資金を持たなかったため、有意義な市場シェアを獲得できなかった。GrabはUberの東南アジア事業の合併以降シンガポール市場を制しており、運賃を高く設定する戦略をとってきたようだ。これに対しGo-Jekは値下げ攻勢を掛けている。

このような海外進出を支える開発プロセスための基盤がGo-Jekにできていると想定される。Go-Jekは開発の大半を買収したインドの受託開発会社でしていると考えられる。昨年から海外展開が積極化されていることからざっくり推定すると、Uberのように豊富なプライベートAPI群が揃い、新しい国に展開するときには、それらを組み合わせてローカライズしたシステムを作ることが、主要アプリケーションで可能になってきているのではないか。Go-JekもGrabと同じように海外市場でのM&Aを積極的に進めている。

同社の発表文書によるとGo-Jekは6月にはバンガロール人工知能の採用プラットフォームであるAirCTOを買収し、グルガオンに2番目の製品および技術開発センターを開設した。これもまたサービスの拡大と海外展開を支える開発基盤になるだろう。同社のインドの社員数は500人に達している。

動的な状況下でどう意思決定するか

この大型スタートアップをめぐる諸事情は東南アジアだけに留まる問題ではない。それこそ、デジタルエコノミーの有望な開拓地であるインドでも欧米中日の投資家が関与して、同様のゲームが起きている。

インドに興味深い前例がある。インドでは電子商取引プラットフォームのフリップカートとスナップディール、そしてAmazonの三つ巴の競争があった。フリップカートとスナップディールは値引き攻勢で競合を押し出そうとした。両者は集めた多額のお金の大半を商品の値引きに投入したが、その値引き商品を買い占めて、元の価格で売るこずるい小売業者たちが現れた。彼らが両者の値引きの効果の大半を吸い取ってしまったのだ。その結果、同サイズの資金をほぼ物流インフラに投じたAmazonが市場での立場を強くした。

勝者総取りのメカニズムが働きやすいテック業界のなかで、大量の資金を調達しながら競合と競争するのは、非常に難解な問題だ。そして状況は常にダイナミックである。これは「動学的意思決定」と呼ばれるジャンルのできごとであり、私がこの二社と比べて超小規模のスタートアップをしながら楽しんでいることである。Go−JekとGrabの二つの会社の経営陣は、推論と決定の二つのプロセスに加え、超流動的に変わる外部要因に翻弄されていることだろう。ここらへんは機械学習モデルの応用が、囲碁のようなワンターン式の「静的な戦略ゲーム」から「スタークラフト」のようなリアルタイムの「動的な戦略ゲーム」へと移行したことに思いを馳せたい。もしかしたら今までの人間が思いつかないもっといいやり方があるのかもしれないし、実は人間をうまい具合にトレーニングしたらすごいそういうことが上手な人が出てくるかもしれない。自分の場合は、戦略性に長けているが、プレイヤースキルがまだあまり高くない、ということが課題である。以前はプレイヤースキルが高くて、戦略性に劣るプレイヤーだった。両方を満たすのは本当に難しい。

ん、話がすり替わってきている? 来週また続きを書いていきたい。

本記事は富裕国を飛躍(リープフロッグ)する東南アジアのデジタル経済の「攻略本」となる『【特集】東南アジア デジタル経済 攻略』 の連載のひとつです。特集のトップページはこちらです。

【連載目次】

  1. 『6億経済圏のデジタル変革 東南アジアのデジタルエコノミー』
  2. 『GO-JEK VS GRAB 1兆円スーパーアプリの決戦 テック経済レビュー』
  3. 『スーパーアプリとは?WECHATが編み出した最強のモバイルファースト戦略』
  4. 『大競争時代の到来:東南アジアのデジタルウォレット テック経済レビュー#10』
  5. インドネシア デジタル決済: 中国モデルの「移植実験」
  6. 『東南アジアEコマース帝国の台頭』
  7. 風雲急を告げる 東南アジアのオンライン旅行市場

参考文献

Tribun bisnis "Transaksi Gojek Capai Rp 127 Triliun, Nadiem Makarim Ingatkan Pentingnya Filosofi Ilmu Padi"Penulis: Reynas Abdila Editor: Adi Suhendi"

Kompas.com "Survei FEB UI: Teknologi GoJek Buat Bisnis UMKM "Naik Kelas"Penulis : Yohanes Enggar HarususiloEditor : Yohanes Enggar Harususilo

Kompas.com "Grab Sebut Ingin 4 Kali Lipat Lebih Besar dari Go-Jek "Penulis : Sakina Rakhma Diah SetiawanEditor : Sakina Rakhma Diah Setiawan

Nikkei Asian Review ”Grab to 'execute on big partnerships' in 2019 expansion: CEO" by KENTARO IWAMOTO

Go-Jek Product Tech Blog "GOJEK acquires AirCTO, expands operations in India"

Go-Jek Product Tech Blog ”To New Frontiers — How GOJEK Went International” by Sooraj Rajmohan

The Economist "Growth at Indian internet consumer firms has stalled"

Star Online Grab usage in free-fall in Singapore since Uber withdrawal, according to SimilarWeb data By Susan Cunningham

Grab 東南亞交通運輸的產品設計挑戰與實踐 — 以重新設計 Grab app 為例 by Rice Tseng

The Economist "In South-East Asia, Grab and Gojek bring banking to the masses"

Image via Go-Jek Tech

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OpenAI、法人向け拡大を企図 日本支社開設を発表

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OpenAIは東京オフィスで、日本での採用、法人セールス、カスタマーサポートなどを順次開始する予定。日本企業向けに最適化されたGPT-4カスタムモデルの提供を見込む。日本での拠点設立は、政官の積極的な姿勢や法体系が寄与した可能性がある。OpenAIは法人顧客の獲得に注力しており、世界各地で大手企業向けにイベントを開催するなど営業活動を強化。

By 吉田拓史
アドビ、日本語バリアブルフォント「百千鳥」発表  往年のタイポグラフィー技法をデジタルで再現

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