本記事はインドの驚異的なデジタル経済の成長とそのふるまいを記述した『【特集】デジタル・インディア 13億デジタル経済の熱狂』 の連載のひとつです。

【連載目次】

特集の序文はこちら

  1. インドのデジタル経済: 13億人が秘める異常な潜在性
  2. インディアスタック INDIA STACK:全国民のデジタル化を支える政府基盤API
  3. Aadhaar 世界最大のデジタルIDプログラム
  4. 政府主導の独自基盤「UPI」がゲームを変えた インドのモバイル決済
  5. Reliance Jioによるモバイルインターネット革命の経緯
  6. インドのスタートアップエコシステムの急成長と多様化
  7. 戦争再び インドの電子商取引
  8. SPOTIFYのインド市場ローカライズ 基本戦術化した価格戦略と軽量アプリ

2009年にAadhaar(アーダハール)プログラムが開始される前、ほとんどのインド人は、食料補助金のために発行された「配給カード」などの初歩的な物理的文書を主要な身元確認情報として頼っていました。 推定では、2011-12年に人口の85%以上が配給カードを持っていたことが示唆されています。 人口の15%が法的に検証可能なIDを持っていなかっただけでなく、配給カード所有者でさえも身元をリアルタイムで認証および検証する方法をもちませんでした。今日、この状況は劇的に変化しました。12億人以上のインド人がAadhaarのデジタルID を保有しており、ID 保有者数は2013年の5億1,000万人から大幅に増加しました。

Aadhaarは12桁の数字で、インドの固有識別機関(UIDA)が、生体情報と人口統計情報に基づいてインドの居住者に発行します。 Aadhaar IDを取得するために、申請者は当局に指紋の記録、虹彩のスキャン、写真の撮影、名前、生年月日、性別、住所の記録を許可します。

Aadhaarは、インドのすべての居住者に、身元を証明するための、信頼性が高く、独自のデジタル検証可能な手段を提供するために作成されました。ポジティブな影響は、銀行口座への給付の直接振替を可能にすることにより、政府給付プログラムの損失、詐欺、盗難を削減する可能性でした。Aadhaarの使用により、消費者によるデジタルサービスの採用が促進されました。 2017年4月の3億9,900万、2014年1月の5,600万と比較して、2018年2月までに8億7,000万近くの銀行口座がAadhaarにリンクされました。公金給付口座の82%がAadhaarにリンクされており、詐欺や漏えいが減少しています。

このIDシステムの最大の受益者は貧困層です。米ドル購買平価ベースの貧困線は1.90ドルを下回る人々は人口の13.4%であり、IDは彼らにとって国家の給付などを受け、中位低所得層に上るための国家からの装置です。このIDをベースに支払い機能専用の「ペイメントバンク」に口座を開設することが可能であり、そこから低所得者用の給付を受けたり、UPIウォレットのようなデジタル支払いへの道のりが開かれるようにデジタルインディアは設計されています。

政府、企業サービスの共通ID

Aadhaarには一連のオープンアプリケーションプログラムインターフェイス(APIs)がリンクされています。この非物理的な政府サービスの提供を容易にするAPI群を「IndiaStack(インディアスタック)」と呼びます。たとえば、インディアスタックの一つであるUPI(統一ペイメントインターフェイス)プラットフォームは、さまざまな支払いシステムを単一のモバイルアプリに統合し、個人、企業、政府機関の間で迅速、簡単、かつ安価な支払いを可能にします。「デジタルロッカー(DigiLocker)」を使用すると、ユーザーはデジタルドキュメントを発行してその真偽を検証できるため、紙が不要になります。これらのサービスを使うためのIDがAadhaarというわけです。

UIDAは「Aadhaarはこの種の世界で唯一のプログラムであり、最先端のデジタルおよびオンラインIDがこのような大規模で無料で人々に提供され、サービス提供の機能を変える可能性があります」 と説明しています。

Aadhaar番号は、オンラインで費用対効果の高い方法で検証できます。 重複や偽のIDを排除するのに十分な独自性と堅牢性を備えており、効果的なサービス提供のためにいくつかの政府福祉スキームとプログラムを展開するための識別子として使用できます。 Aadhaar番号はカースト、宗教、収入、健康、地理に基づいて人々のプロファイルを作成しません。

「Aadhaarは、恒久的な財務アドレスとして使用でき、社会の恵まれない部分や弱い部分の経済的包含を促進するため、分配的正義と平等のツールです」とUIAIは説明しています。

12億のIDシステムの課題

デジタルIDシステムに懸念を示す人もいます。Aadhaarには個人情報を追跡する能力があり、悪意の攻撃者がシステムをクラックすると、それが悪用される可能性のあるのです。このような脆弱性の懸念に対しAadhaarは様々な対策を図っているとUIDAは説明しています。Aadhaarは基本的な人口統計(属性)データのみの保存に留め、金融取引のような行動データを蓄積していないと説明しています。AadhaarはIDを要求する当事者がIDの検証を要求するたびに、Aadhaarシステムは生体認証の一致に基づいて「yes」または「no」のみを発行するという「情報の中身を渡さないままその真偽を証明する」手法を採用しています。

とはいえ、すべての政府運営サービスを利用するための唯一のIDであるため、利便性のトレードオフになっているのが、攻撃へのインセンティブの高さだと考えられます。今年二月にはインドの国営ガス会社が数百万のAadhaar番号を漏洩したと報じられています。

もう一つのトレードオフがプライバシーです。デジタルIDは、不適切に設計された場合、政府または民間部門が個人またはグループにターゲットを絞り「働きかけ」をするために使うシナリオがあり得ます。 潜在的な動機には、個人データの収集と保存からの金銭的利益、有権者の政治意思の操作、および支払い、旅行、ソーシャルメディアなどの使用へのアクセスの監視と制限による特定グループの社会的統制までが含まれます。

「一意のIDにすべての行動データがぶら下がっていたとき、人間はそれを正しく扱い続けることができるのか…」。Aadhaarはこれから数年のうちにそのような問いへの答えを与えてくれるかもしれません。

しかし、現状は貧困層をIDのある世界に導くという目的が勝っています。貧困から抜け出すことはプライバシーよりも優先されるのは間違いありません。

参考文献

UIAI, "What is Aadhaar"

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