一時代の終焉:孫正義とジャック・マーは主役じゃなくなった
孫正義とジャック・マーの蜜月が終わりつつある。2020年代に入ってからの環境の急変が、両者を主役の座から引きずり下ろした。東アジアから東南アジア、インドまで版図を広げた強力なタッグはいま、「長いお別れ」が避けられなくなった。
孫正義とジャック・マーの蜜月が終わりつつある。2020年代に入ってからの環境の急変が、両者を主役の座から引きずり下ろした。東アジアから東南アジア、インドまで版図を広げた強力なタッグはいま、「長いお別れ」が避けられなくなった。
1. アリババ株を買い戻せる公算は低い
ソフトバンクグループ(SBG)は先週、株式先渡契約の一部を繰り上げ決済することで、アリババへの出資比率を23.7%から14.6%に引き下げると発表した。アリババはSBGの持ち分法適用会社ではなくなり、決算の連結対象先から外れる。
SBGの報告によると、アリババとの取引による利益は、株式の再評価による2兆4,000億円を含め、日本円で4兆6,000億円に上るとのことだ。ただ、この利益は会計上のもので、キャッシュフローは伴わない。実際には先渡契約の一環でアリババ株を信託に売った時点で、同社はそれに伴うキャッシュフローを得ていた。その資金は利払い、債務返済、ソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF)2の原資に当てられたと考えられる。
フィナンシャル・タイムズ(FT)の推計によると、今年の先渡取引のペースは過去3年間の合計よりも多く、SBGはデリバティブ取引や貸付の担保として株式を差し入れることで、「保有するアリババの80%以上にレバレッジをかけている可能性」があるという。
SBGは定常的なキャッシュフローのない投資会社である。上場したスタートアップの株を流動化し、それを未上場企業に再投資するのがSVFの好むサイクルだったが、この半年以上IPOは枯渇している。アリババを買い戻すためのキャッシュを掴む唯一のチャンスだった、Armの売却もまた、うまくいかなかった。当初400億ドル(正味320億ドル)の株式交換主体の取引は、NVIDIA株の値上がりによって660億ドルにまで膨らみ、SBGにとって千載一遇のチャンスになりかけていたのだが。
SBGは常にキャッシュが必要な会社である。SVF1では、サウジとアブダビが出資した資本のうち約6割は特殊な優先株が占めており、それは年7%の利回りを保証している。WSJの分析によると、これまでにSVF1が支払った優先株への分配額は約60億ドル相当で、手数料やその他のコストを差し引いても両国のファンドの含み益はおよそ50億ドルに上る。それ以外にもSBGには、株主と規制当局への報告だけでは割り出せるのか不透明と考えられる、様々な利払いや債務返済の義務が生じているとみられる。
メルトダウンは始まったばかりかもしれない。8月上旬の決算報告で、SVFの含み益が霧散したことが示されたが、これが底かどうかは分からない。すべてはSBGのバリュエーション認識次第で、それが遅延して会計に反映されるからだ。さらに未上場株のバリュエーションをどう認識するかによって、更に打撃を受ける可能性がある。テクノロジーセクターの調整によって大火傷を負ったベンチャーキャピタル(VC)はSBGだけではないが、SBGは他と異なり上場しており、早い段階で全てを白日のもとにさらさないといけない。
これらを踏まえると、残りのアリババ株の大半の放出は確定的であり、SBGとアリババの20年にも渡る蜜月が終わるだけでなく、関係が解消されていくとみていいだろう。
(明るい兆しがあるとすれば、それはテクノロジー株とスタートアップセクターが復活の兆候を見せていることだ。ただ、これらのセクターは孫正義がジャック・マーに投資したときとは比べようがないほど競争が熾烈になっている。波に乗れば勝てるわけではないのだ)
2. ジャック・マーの「亡命」
2年近くほとんど公の場から姿を消していた、アリババ共同創業者である57歳のマーはいま、欧州にいるらしい。ブルームバーグや地元メディアの報道によると、オーストリアのレストランに顔を出し、オランダの大学を訪れて持続可能な農業について学び、スペインのマヨルカ島沖に「ヨット」を停泊させたという。
アント・グループの上場に際してジャック・マーが公の場で政府を非難して以来、粛清を受けてきた。かつて3,000億ドルと評価されていたアントのバリュエーションは、規制当局が消費者金融など同社の最も収益性の高い部門の事業を抑制したため、急落している。ブルームバーグ・インテリジェンスのアナリスト、フランシス・チャンは6月、アントの企業価値を約640億ドルと推定している。
マーはアント・グループの経営権を放棄する予定だと報じられている。ウォール・ストリート・ジャーナルは、アントが金融持株会社への移行を準備する中で、マーが経営権を手放す意向を規制当局に伝えたと報じている。 2020年の同社のIPO目論見書には、マ―が支配する事業体を通じて50.52%の株式を保有していることが記載されていた。
マーの欧州での行動は、以前通りのフィランソロピー活動のようにも見えるが、典型的な中国人富裕層の欧州への逃避行のようにも見える。ヨットのような、身の危険に常にさらされているロシアの新興財閥(オリガルヒ)が好む資産を移動手段に使ってもいる。
マーは中国からの富裕者に慣用な国でビザを得て、欧州を旅する人になっていくのだろうか。さながら亡命者のように。
3. マーと孫の共倒れ
マーが引き金を引いた結果、中国のテクノロジーセクターへの広範な「粛清」が始まった。取り締まりは既定路線だったように思われるが、マーの一件は間違いなくそれを増幅しただろう。欧米がビッグテックをどう規制するかまごまごしている間、中国は電撃的な速度でテクノロジー業界の取り締まりをやり遂げたのだ。
この結果、孫正義のSBGもまた深い傷を負った。最も象徴的だったのが、滴滴出行(ディディ・グローバル)だ。当局の制止を振り切って中国共産党創立100年の祝賀式典前日に米上場し、共産党上層部のメンツを傷つけたディディは、サイバーセキュリティ審査で粉々にされ、最近上場廃止した。中国ではディディの失地を奪おうと無数の配車アプリが大挙して押し寄せており、政権はそれを促しているように見える。「共同富裕」の旗のもと、「処刑」された学習塾産業にも、他のプライベート・エクイティやVCとともにSBGの大量の死に金が眠っている。その他、SBGの中国関連のポートフォリオは1兆ドルを超える時価総額の消失に代表される中国テックセクターの没落の影響をもろに被ったのだ。
長い繁栄の季節を経て、習近平政権の主軸はテックセクターではなくなった。技術トレンドに敏感な中国では、米ビジネススクール卒の世間知らずたちが褒めそやすデジタルプラットフォームはもはや時代遅れで、AI、半導体、IoT、クラウドコンピューティング、電気自動車(EV)、クリーンエネルギー、バイオ等が次の重点となっている。
新勢力の勃興は記録的だ。ブルームバーグによると、今年これまでに中国本土で行われた新規株式公開(IPO)で、企業は580億ドルという記録的な資金を調達している。さらに1,000社が株式公開のために列をなしているようだ。また、新たな大物経営者も誕生している。中国の10大富豪は2020年に入ってから正味1,670億ドルの富を蓄積している。
中国は最盛期の日本を更に改良したような産業育成の仕組みが整っている。5カ年計画による明快なアジェンダ、地方政府の手厚い支援、国家新興産業ベンチャー投資誘導ファンドという「官製ベンチャーキャピタル」、海外資本の注入、そして産業政策による潤沢な補助金は、汚職や派手な失敗のような負の側面を露出させながらも、ものすごい勢いで中国の産業の地平を変え、雨後の筍のような有望な新興企業の群れを生み出している。
この「新しい中国」において、マーの居場所はもはやないのだ。
4. ロング・グッド・バイ
SBGとアリババは東アジアを飛び越え、東南アジア、インドまでベンチャー投資を通じて影響力を広げてきた。インドネシアの大手電子商取引企業の大半にはアリババの資本が入っている(一部はSBGも出資している)。インド最大のeコマース企業フリップカートの筆頭株主がSBGだったこともある(“色々”あってSBGはエグジットした)。
しかし、両者はともに収縮の運動の中に囚われている。アリババは4-6月期に売上高が初の横ばいを記録し、アントは当局の手の中でしぼんでしまった。
SBGの財務状況は先述した通りだが、それ以外にも様々な「状況」に囲まれている。
まず、SBGは重要な資金源を失った。莫大なオイルマネーを抱えながらも「評判」のせいで国際的な投資活動に制約のあるサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子のような存在にとって、アリババ投資で名を上げた孫のSVFは、格好の「迂回ルート」だったが、数々の失態でその魅力は消失した。
次に、投資手腕を疑われている。ウィーワーク、グリーンシル、カテラ、史上最悪の特別目的買収会社(SPAC)と呼ばれたビュー(View)、85%減価したクラーナのようなスキャンダルを伴う派手な失敗のせいだ。
加えて、余りにも規律がないことが知れ渡った。ワイヤーカードにおける不透明な転換社債の売買を通じた幹部による個人的利益の追及、スプリントとTモバイルの合併に関する内部的な情報を基にした幹部による株式の売買を通じた個人的利益の追及、さらにファンドの投資予定の未上場スタートアップに幹部が事前に個人的に投資する慣行に加えて、孫自身もSVF2、南米ファンド、最近解体された社内ヘッジファンドのSBノーススターに支払いを後回しにして持ち株を得ている。SBGはファンドのリミテッド・パートナーと株主、そして幹部の利益を相反させてはいないだろうか。
さらに、孫と長きにわたる個人的な関係を持っていたクレディ・スイスがグリーンシルを巡ってSBGを提訴したことで、どのような非公開情報が法廷に持ち込まれるかという新たな爆弾が加わった。
栄光の2010年代が終わり、2020年代を迎えると、彼らをめぐる環境が大きく変わった。習近平は3選を遂げようとしており、趨勢が変わることはなさそうだ。
マーは中国における全てを放棄し、孫は「三方原の戦い」に敗れた。
孫が高圧的にプレゼンテーションを要求したのに対し、マーが「呼ばれたから来た」と反発したとされる印象的な邂逅から22年を経て、二人には「長いお別れ」が近づいている。
(敬称略)
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